L'sコーポレーション関連のお話です

欲望に溺れ落ちていくさまを描きました

 

 

 

# 逃走者の選択

## 一

研究室の隅で、
僕は誰にも見向きもされない論文を書いていた。

「また藤崎か。相変わらず夢物語ばかり書いてるな」

隣の研究室から聞こえる嘲笑。
僕の研究テーマは
「持続可能な平和構築のための社会システム設計」。
誰もが理想論だと笑った。

貧困家庭に育ち、
奨学金とアルバイトで何とか大学院まで進学した。
人々が幸せに暮らせる世界。
争いのない未来。
そんな青臭い理想を掲げて研究を続けてきた。

だが現実は厳しい。
論文は学会で黙殺され、
指導教授からは「もっと実用的なテーマに変えろ」
と言われ続けた。

三十二歳。博士課程も終わりに近づき、
行き先のない未来だけが見えていた。

その日、一通のメールが届いた。

「あなたの研究に興味を持ちました。
一度お話しさせていただけませんか
L'sコーポレーション」

世界的大企業からのスカウト。
最初は詐欺かと疑った。

## 二

L'sコーポレーション本社ビルは、
まるで未来都市から
切り取られたような建造物だった。

案内された研究施設で、僕は目を疑った。

重力制御デバイス。
量子コンピューティングを超える演算システム。
物質の原子配列を自在に操る装置。
どれも教科書では
「理論上可能だが実現は数百年先」
とされていた技術ばかりだった。

「藤崎さん、あなたの研究は正しい。
人類の幸福と平和こそが、技術の最終目的です」

採用担当の女性、橘マリアは穏やかに微笑んだ。

「当社では、あなたのような
理想を持つ研究者を求めています」

僕は夢を見ているようだった。
無制限の研究予算。
最先端どころか、時代を百年先取りした設備。
そして何より、僕の理想を理解してくれる環境。

研究は加速した。

エネルギー問題を解決する無限動力装置。
食糧危機を終わらせる完全栽培システム。
病気を根絶する医療ナノマシン。

「これも作れる。あれも実現できる」

夜も眠らず、僕は研究に没頭した。
次々と生まれるアイデア。
それを実現できる技術。
まるで神になったような万能感に酔いしれていた。

## 三

半年が経った頃、橘から呼び出された。

「藤崎さん、少しペースを落としませんか」

彼女の表情は曇っていた。

「あなたの研究成果は素晴らしい。
しかし、最近の提案を見ていると...
気になる点があります」

「何が問題なんですか? 
僕は人類のために研究しているんです」

「それは分かっています。
でも、思考パターン分析の結果、
あなたの中で『作りたい』という欲望が、
『人類のために』という目的を上回り始めています」

橘は一枚の資料を僕の前に置いた。

「L'sコーポレーションは、
過去に何度も同じ過ちを見てきました。
優秀な研究者が超技術に触れ、創造の欲望に溺れ、
そして暴走する。
行き過ぎた技術は人々に不幸をもたらし、
新たな争いの種となるのです」

「馬鹿な。僕はそんな...」

「だからこそ、当社には再教育プログラムがあります。
三週間、研究から離れて、
技術と倫理について学び直していただきます」

再教育。その言葉が僕の中で何かを引き金にした。

「研究を奪う気ですね」

「違います、藤崎さん。あなたを守るための...」

「どうせ僕の成果を横取りして、
別の研究者に渡すつもりでしょう! 
最初から、そのつもりだったんだ!」

橘の表情が悲しげに歪んだ。

「藤崎さん、それこそが暴走の兆候です。
疑心暗鬼、被害妄想...」

僕は聞いていなかった。
研究室を飛び出し、データを全てダウンロードした。
ポータブル量子メモリーに、
L'sコーポレーションの技術情報の全てを。

これは僕のものだ。誰にも渡さない。

## 四

逃亡生活が始まった。

L'sコーポレーションの技術を持ち出した僕は、
すぐに全国指名手配された。
通常の警察ではなく、
同社傘下の「エイキュー警備保障」が
追跡を担当するという。

最初の一週間は順調だった。
偽造IDで地方都市に潜伏し、
安いビジネスホテルを転々とした。
ポータブルメモリーに入ったデータを眺めながら、
僕はまだ研究を続けられると信じていた。

だが十日目、状況が変わった。

ホテルの周囲に、黒いスーツの人影が現れ始めた。
監視カメラの映像から消える技術。
音もなく接近する訓練。
エイキュー警備保障の捕獲チームだ。

僕は裏口から逃げ出した。

追跡は執拗だった。
どこに逃げても、一日と経たないうちに
包囲網が形成される。
彼らは傷つけることなく、
ただ静かに、確実に追い詰めてくる。

三週間目。僕は工業地帯の廃工場に身を隠していた。

食料も尽きかけている。現金も底を突いた。
ポータブルメモリーだけが、僕の全てだった。

夜、工場の外で足音が聞こえた。

一人、二人、三人...いや、もっとだ。
建物を完全に包囲している。

「藤崎さん」

拡声器から橘の声が響いた。

「出てきてください。
あなたを傷つけるつもりはありません。
ただ、話をしましょう」

僕は暗闇の中で、メモリーを握りしめた。

工場の奥には、下水道につながる排水口がある。
昨日見つけた脱出ルートだ。
だが、彼らがそれに気づいていない保証はない。

もし逃げ切れたら? その先に何がある? 
永遠に逃げ続けるのか?

もし捕まったら? 研究は? 僕の理想は? 
あの技術でできたはずの、全ての可能性は?

「藤崎さん、時間です。最終警告をします」

排水口まで、あと十メートル。
暗闇に紛れれば、あるいは...

僕の手の中で、メモリーが微かに光を放った。

その光の中に、
かつて僕が夢見た世界が見えた気がした。

平和で、幸せで、争いのない世界。

だが同時に、
自分が今、何から逃げているのかも分かった。

足音が近づいてくる。

僕は――

*(完)*