今回は、11月にあったプロマス9期の3日目、4日目の動画を視聴しての記録。

 

コバの話を聞いて、カウンセラーや先生など、何かを教えたりサポートしたりする仕事では、自分が得意過ぎるものを真ん中に据えない方がいい、と解釈。なぜならば、できない人の気持ちが分からず「あなたの努力が足りない!!!」と思ってしまうから上手く行かない。

 

最初は、そうかな???と思った。自分が得意だと相手に努力を求めるものなの???って。

でも、本当に苦手で全然できないこと(スポーツ)を思い浮かべると、結論は「努力ではどうにもならない」だったりするので、当てはまるかもしれない。

これは私にとって新しい視点だ。

当時のプロマスでは確か、周りから褒められるけど自分では簡単にできることが得意な事、と表現していたと思う。でも「あなたの努力が足りない!!!」と思っていることも得意な事なのかもしれない。

私が何かを教える仕事をするとしたら、その時は「自分がサッカーを習うなら、どんな環境だったらテンション保って参加できるだろうか…」という視点を持つと良いのかもしれない。サッカー教室なんて想像しただけで休みたくなるが…。

 

あとは、今回のテーマはパートナーシップのこともあったのだが、当時のことを思い出して気付いたことがある。

当時結婚についてすごく恐怖感があって、結婚しない=奈落の底に落ちる、と思い込んでいた。

結婚しなくてもいい、は、奈落の底に落ちてもいい、みたいな感覚だ。

この恐怖感は、仕事を辞める、とほぼ同じだった。

仕事を辞めることは、奈落の底に落ちることなので怖すぎてできなかった。

しかし、経験してみて分かったが仕事を辞めても奈落の底には落ちない。「仕事を辞めた生活」が続くだけだ。

結婚をしていないが、それもそれで「結婚をしていない生活」が続くだけだ。

こういう恐怖は、経験をしていないから怖いまぼろしの怖さだ。

 

この話は、持っているものを手放す、に通じるところがある。

それまでにぎりしめていたものを手放す、というのは死ぬほど怖い。

なぜならば奈落の底に落ちると思っているからだ(無意識に)。

だからいつまでたっても手放せない。そして苦しむ。

恐怖を克服するにはしんでもいい!!と手放し飛び込んでみるしかないのかも。

そのときの「あーしんだ。私しんだわ。私消えていくんだわ」感はあるのだが、まぁ、過ぎてしまえば何でもなくなる。別に消えないし。

 

にぎりしめていたものを手放した時、それで人生が終わるわけではなく、また何かをつかめる状態になるだけだ…というのが当時想像できなかった。
できない、できないよねぇ~だってまだ人生1回目なんだもん。これからも1回目だけど。
割といい方向に転んだりするんだよね。
でも一回、奈落の底に落ちたまぼろしを見ないといけないから…割といい方向に転ぶには運とタイミングもいるかもだし…安易に当時の自分には「いますぐ辞めなよ~」とは言えないかもしれない…。