昨晩、20名以上のオンライン講座に参加しました。zoomを使ったセッションやワークショップは増えてきたけど、ここまでの人数は初めて。
その名も「ファミリージャーニー。家族を生きる。自分を生きる。」
備忘録に。
私たちは現実に向き合い生きている。
その現実を作り出しているのは自分の内側。
だから"気づき"変化を作り出す。
★私は世界をどうみているのか?
それはリアルな体験からの反応を見るのがいい。(特に不快なこと)
感情はシグナルなので
何が起きているのかの自分自身の内側の認知になる。
事実は1割くらい
後の9割は解釈。感情を絡ませたもの。
(最近の不快な反応を話して見ると、ほぼほぼこの解釈の話が止まらない)
NVC的にもこの事実と解釈をいかに分けるかが
まずのポイント。
そして1割の事実を
「〜がない」とないものを見るのか、
「〜がある」と何があるのかをみるのか。
ないものはない。
あるものはある。
ないものが、あるべき!にするのは不毛。
ないから。残念だけどないから。
欠乏の世界に生きるのは
不安、恐れからしかない。
あるものがあるとみる世界は
不安や絶望はなく
祝福しかない。
どっちの世界を生きるかは
選べる。
あるものをないものにするのは、
抑圧が起こっているだけで、ずっとある。
後で復讐したくなる。
抑圧し続けると、顔なしのようになる。
★正しさと執着は苦しみの元。
反応しないで
何がおきているか
に立ち続けるには筋力がいる。
自分に起きていることを
ただ気づき受け取る、
あるものをあるとすると
自己認知ができる。
自己認知は自己受容につながる。
そこがスタート。
そこを認めていかないと変容はない。
どんなドロドロしてようと、悪い人になろうと、感情は事実とは違うんだから何を思っても自由。そこを、そんなこと思ってない、思っちゃダメだと"いい人キャンペーン"やり続けている限り、自己受容は起こらない。
感情を感じ切ると、自分への理解が進む。
感情は知性。
体験からしか感情は生まれない。
自己認知は自分を愛すること。
それができないと、
他人のその体験を許せない。
「何があるの?」
この問いはパワフル。
「何があったの?」でも
「何が起こってるの?」でもなく
「何があるの?」
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