息子のお友達のお母さんが亡くなりました。あまりに突然の訃報。動揺が隠しきれず、今でも信じられない。
二人のお子さんを残して、無念だっただろうに。癌という病魔がいとも簡単に奪い去る命。
個人としてのショックも隠しきれないんだけれど、子供達、ご主人、周りの子供達はどんな風にこの事実を受け止めていくんだろう。
声にできない声を抱え、人は何を受け取るんだろう。私は息子になんて伝え、どんな風にお通夜に参列するのだろう。
そして
昨晩お通夜に息子と一緒に行ってきた。
そんな大人の心配をよそに
子供たちはちゃんと理解した。
というか、受け止めていた。
悲しいとか可哀想とかの感情抜きで。
結構ふつうに。
そう、大人はよく過去を憂いだり
未来を心配して嘆く。
それが悪いわけでも勿論ないけれど、
参列している多くの子供たちは
「今」にいたような気がする。
死への恐怖なんてなく
いつもの通り変わらないのだ。
死が分からないのではない、きっと。
ただその意味を味わうのは今じゃないだけ。
お友達の◯◯ちゃんはママが亡くなった翌日、幼稚園に登園したそう。
子供ってすごい。
詳しいことは分からないけれど、
告知されてから闘病中心配させまいと、かなり頑張られていたようでした。
もしね、これを読んでいる闘病中の方がいらっしゃったら、心配させまいと病気のこと周りに話さずにいるんじゃないかしら。すごく辛くて、怖いんじゃないかしら。
周りを心配させると一人で頑張らないで、心配かけることを心配せず、少しでも楽な状態になることにOKを出してあげてあげられたら。
心配させることも辛い、一人で抱えるのも辛いと思うけれど、きっとシェアをしたら悲しみは半分になるから。
コーチはそんな声にならない人の声を聴くのが志事です。周りにどう告知していいか分からないことを吐き出す相手でもいい。
そんな時、声を出す場所があること、覚えておいてください。
今日命があることに
笑えることに
感謝して
明日生きたかった人の分まで
生きよう