コーチングを通して、今までの人生の奥深いところに触れていくと、幼い頃の記憶にたどり着くことが結構あります。
私のことでもあるけど、私の周りに少なくとも3人はいる、似た記憶。。
昔、母親はテストで100点をとっても、褒めてはくれず、99点だった時にはなんであと1点がとれなかったのかを指摘される。
運動が一番でも、もっと上がいるって、頑張っても頑張っても、認めてはもらえない。
親の期待に応えてナンボ。
優秀な方こそ、頑張って期待に応えることができちゃうから、実はまた次の壁を用意されちゃう。
ストイックで、ストレッチ感がいっぱいで、どんどを才能を開花させて伸びる人もいる。…でも苦しい…
私もかつてはそうでした。
(といっても小5くらいまでなんで、短っ!)それで、大学受験、就職までずっといくケースも多い。
私は中学生の頃、反抗期を迎えてそこでバトルを繰り広げました。
「親の求めるレベルと私が望むレベルが違う」「押し付けないでほしい」と。そのお陰で、大した大学には入らなかった事もあり(笑)人生良かったんだか悪かったんだかわかりません。
ただ、親の期待から自分の在りたい姿にうまくシフトできるとベストなんですが、そこに繋がらなければ、ゆくゆく自分に自信がない状態が続いちゃうんですね。
まだダメ、もっと。
諦めじゃない前向きさに潰れそうになる。
どう在りたいの?
ココロに聴いてみて。
親も自分の子供のことを信じてできると思うから、期待する。
可能性を信じるっていう面では、コーチのスタンスと同じなんだけど、本人の響く選択を応援はしてないこともあるんですよね。
子供は、ただ純粋に大好きなママに喜んでもらいたいから、頑張る。
だから、詰められて、キツくて、苦しくても、その記憶は自覚をしないんだ。でも親の期待するゴールが分からなくなった時、自分のやりたい事がわからなくなってしまうこともある。
私も、色々言われてた時のことは、「色々言われた。」「厳しかった」としか覚えていなくて、褒められた時は、どんな時とか、なんて言われた時とか、鮮明に記憶している。(少ないからね)
そう、嬉しいんだよね。じんわりと。本当に。
褒められることを諦めたら、グレる。それも極端なんだけど、当時親も自分も「ただ認める」なんて選択肢をしらないから、それしかできない。
距離が生まれていた関係でも、素直に数少ない褒めてくれた経験に感謝することもできる。
その時言葉にできなかったキモチを、人は遡って表現する自由がある。
それで、完了できる未来の関係性がある。
そして子供を持つ親として、、何ができるか。ちゃんと努力や思いを認めて、喜びを共感する。
それができる母親になりたいな。子供が将来、ママに言われた言葉を思い出せるような、そんなコトダマを贈っていきたい。