ご無沙汰しております☆
めっちゃ久しぶりの投稿です🤣
前回、瀧川神社を巡っていろいろな出会いがあったことなどを日記に記しました。
相変わらず瀧川神社では新たな方々との出会いがあります^ ^
さて、今日は気づきのお話し。
先日、息子くんのピアノコンクールに行ってきました。
うちはシングルで男の子2人、決してお金に余裕がある訳ではありませんが、なぜかピアノをやりたがる長男。
やりたいのならとピアノを習わせており、コンクールもでたい!というので母としては頑張って申し込みました。
小学1、二年生部門で参加。
長男は一年生。二年生の方が上手な子もたくさんいます。
でも、課題曲の中から一番難しい曲を選んで、一生懸命頑張りました。
途中練習しないと、ママから厳しく教えられ、泣いてしまうこともありました。
でも頑張りました。
当日、長男の部門は1、2年生合わせて11人中1人欠席で10人。
まず最初のグループは一年生3人と二年生3人。
長男はこのグループの一年生。
一番難しい曲を弾いたのは長男と二年生の1人の合わせて2人。
他の子はだいぶ簡単な曲。
それでもノーミスの子は1人もいなかったと思います。
長男もまぁまぁの出来。
母としてはよくやったよ、と思いました。
でも、本人は気に入らない様子。
引き終わってから自席に戻らず一つ後ろの私の席へ。
その後椅子の下に座り込み、さらには出演者たちの椅子の下に寝転がる始末。
目も当てられません。
次の子が始まってしまい注意するにも長男が音を立てたりしたらこまるので、寝転がって静かにしてるならそれの方がまし、と思いそのままに。
(幸い長男の両隣の席の子はお休みの子と、事情で席をたった子の席で空いていましたが…)
さて、一通りおわり、酷評をもらって会場を後に。
寝転がりのことなど気にもせず、長男に頑張ったね!と褒めました。
美味しいもの食べて帰ろうね❣️
って。
でも、帰宅して、夕ご飯の後、ホームページで結果を見て愕然。
ほぼ全ての子が奨励賞はもらえるはずなのに、10人中何も貰えなかったのはうちの子ともう1人だけ…。
あんなに難しい曲をあそこまで頑張ったのに、奨励賞もない!?
本当に、他の曲とは全然難易度の違う曲。
怒られながらも頑張ってきた姿を見ていただけに本当にショックで悔しくて、審査員を憎らしいと思いました。
でも、ふと、寝転がりを思い出して、あれはつまるところ失格、0点、になったんだな、、と気づきました。
長男はよく突拍子もない事をするタイプ。
授業参観でもじゃんけん列車をみんなでやる時に、負けるのが嫌で1人で床に寝転がっていました。
今回のコンクールも同じです。
間違えたのが嫌で椅子の下に寝転がる。
確かにとんでもない事です。
でも、そんなことに慣れてしまっていた私。
親として、しっかり躾けてこなかったんだ、と改めて痛感。
いつも、この子は何回言っても聞かない!何も聞いてない、聞く気もない、という心の中の諦めのようなものがあり、その怒りと共にやっては行けない事について怒っていました。
これなんです。
怒っていた。
叱ると怒るは違います。
よく言われることですが、違うんですよね。
でも、育児テレビなどでよく言いますが、叱るときは目を見て、低めの口調で、という話。
あれは何度やったってダメで、やっぱり聞いてくれないじゃん、この子は普通じゃないからやっぱり無理なんだよ、発達障害なんじゃないかと思っていました。
でも、これって、愛情を注いでなかったって気づいたんです。
叱る時、目を見て、伝える。でも聞かないからもういいや、ってなる。
ここで愛情を放棄してたってことなんです。
聞かないからもういいや、じゃなくて、伝わるまでしっかり目を見て何度も言う。
それってエネルギーものすごくいります。
だって伝えてる途中で逆ギレされたりしてこっちもプッツンしそうになる。
でもそれをグッと抑えて、しっかり伝える。
これが、愛情を注ぐってことなんだなって。
なんというか、躾、叱るのは、親の愛情なんだな、って気づいたんです。
いうことを聞かせようとか、言いなりにさせる、ということではないのです。
愛情を持って躾けなければ、本人にも響かない。
今までは、もー、やんないならいいよ!知らない!
みたいな気持ちだったんですよね。
でも、だから、それが親としての愛情をかけてなかったな、って。
そこは、しっかり同じ目線で、目を見て、言葉で諭して、逆ギレされてもきれないで伝える、それが愛だ、って気づいたんです。
だから、昨日から、さっそくやってるんです。
いつもならイライラして怒りながらいうところを、本人のためにという気持ちでしっかり目を見て根気強く言ったんです。
やっぱり逆ギレしてこっちもプッツンしそうだったけど、それではコンクールの寝転がりと同じ、いつまでも躾けられないって思って、それを堪えて目を見て何度も伝えたんです。
そしたら、すっと納得したのか、というか、どこか満足そうに、しっかり自分から反省してごめんなさいと言いました
言うことを聞かないのって、実は叱ること=親の愛情というのを、こどもは無意識にわかっていて、最後まで叱らない=叱る、躾けるという愛を注いでもらえていない、って感じてたんじゃないかなって思ったんです。
下の子も同じで、今朝、いつもなら逆ギレして困るから、そっとしておくのですが、しっかり向き合って、キレずに強い口調で目を見て子どもの逆ギレに負けずに伝えていたら、やっぱりそのあとどこか満足気で嬉しそうなんです。
躾=いいなり、ではなくて、めっちゃ愛情エネルギーが必要!→子どもが愛情を感じる、→子どもの心が満たされる!
ということなんだろうなって、気づいたんです
普通は叱る=愛を持って躾ける、が当たり前なのかもしれないけど、その本当の意味は私は今回の件で初めて気づいたというか、初めて知ったんです。
うちは愛を持ってというよりは、親の言うことを聞かせるために怒られてきた、いうことを聞かない怒りをぶつけられてきたという感じなので、躾け=愛ではなかったです。
だから、躾の本当の意味がわかっていなかったです。
いうことを聞かせる訳ではなく、やってはいけないことを親として、その子のために、伝える。
怒って怒鳴って力尽くでわからせる、のではなくて、愛を持って伝える、みたいな…
いや伝わらないかな
とにかく、私が受けてきた両親からの躾けと、本当の愛を持った躾は違うんだな、愛を持った躾は親としての愛であり、責任なんだなって、気づきました。
あと、
目を合わせて心を込めて伝えたって無理、は、多分心がこもってないです。
この子のため、と思ってるつもりでも、なんでこの子はわからないの?
何回言えばいいの?
って心で思ってるんです。
私はそうでした。
育児テレビでそーゆー話を聞いて、やってみたって全然ダメ。
あぁ、この子はこーゆー子だから、普通のことは違うから、発達障害かな、とか思ったりしてました。
でも、そこじゃなかったんじゃないかなって。
なんでわからないの?はすでに自分の怒りに繋がってるんですよね。
なんでわからないの?でもなくて、
聞いてる?
でもなくて、
聞いてなかったらその度に名前を呼んで目を見てって言う。
何度も目を合わせると、目が合うたびに少しずつ何か伝わった空気になります。
真剣に向き合う。
なんでわからないの?
じゃなくて、ただその事を理解できるまで伝える。
だから、まずは家の中の小さなとこから。
たとえば、お片付けしてなかったら注意する。
それでも返事だけしてちっともやらない。
やらなかったら本人の目の前に言って、目を合わせる。
名前を呼ぶ。
今何するべきか伝える。
なんで?
は思わないように。
とりあえず、日常生活でこれをやってしっかり向き合っていったら、多分本人も愛を持って見てくれてるって安心に繋がって、心が満たされて、あとは言わなくてもできるようになっていくのでは…?と思いました。
私はひとまずやってみようと思います
と、切々と私の気づきを語りました❣️
たぶん、同じ悩みを抱えている方も大勢いらっしゃると思います。
ぜひ少しでもご参考にして頂かたらなぁと思います
今日一日やっただけでも、子供たちの変化がはっきりとありました。
1日坊主にならないよう、しっかり愛を持って向き合わなければと思いました!
コンクール結果はめっちゃ悔しかったけど、これも気づきのための出来事だった訳ですね
このことがなければ子どもたちと心から向き合うこともなく、子どもたちの心は寒いまま大人になっていたかもしれません。
今気づけて本当に良かった。
子どもたちと向き合うこと、無意識にどこかで面倒くさい、疲れる、と思っていた自分も否めません。
しっかり向き合って嬉しそうな子供の顔を見て、私の心も嬉しくなりました。
今回の気づき、とても大きなものとなりました
これこらは子どもに心をしっかりむけて、愛を込めていきたいと思います!!!
それでは❣️
今朝の瀧川神社⛩✨