友達がいないのは恥ずかしいのか。 | 独断と偏見

独断と偏見

20年前に書いたブログがまだ生きていました。
すでに60歳を超えて老年になり、過去を振り返りつつ思うところを書いてみたいと思います。

 友達がいないこと、一人でランチを食べる姿を見られることが

 恥ずかしい、みじめだと感じている人もいるようです。

 

 また、友達がいない人間は問題がある人だという価値観を持っている人もいます。

 

 今は独身者や、離婚歴のある人も増えたので以前ほどではないにしろ

 それでも、40を過ぎても独り身だと何か欠陥があるとか

 離婚する人は我慢が足りない人、あるいは結婚生活に問題がある人だと

 そうみる方も多いように思います。

 

 そういう偏見があるので、余計な批判や中傷を恐れて

 友達や独身であること、恋人がいないことを隠したがる気持ちもわかります。

 

 でも、友達がいるかいないか、家庭を持っているかいないか、

 恋人がいるかいないか、子供がいるかいないかと

 その人の性格に問題があるかどうかは関係ありません。

 

 正社員であるか派遣であるか

 一流企業で働いているかどうか

 給料がいいかどうかは

 その人に問題があるかどうかの基準にはなりません。

 

 そういうものは本人の幸せとは関係がないし 

 友達や家族がいなくても幸せにはなれます。

 

 ただ、人が持っていて自分にないものがあると

 そのことが自分にとっての不幸の原因だと考えることに問題があると思います。

 

 友達が沢山いたって、収入が多くたって

 会社で高い地位を築いていて優秀な子供がいたって

 その人が尊敬できる人物ではないことや、

 本人が幸せを感じていないことはあります。

 

 みじめだと見られたくなくて友達関係を続けようとする方が問題です。

 

 中身のない人ほど自分を飾ろうとする。

 

 友達がいないことを気にする人は

 自分が満たされていないからなのではないでしょうか。

 

 自分が満たされていて、日々の生活が自分にとって満足できていれば

 自分に足りないものに劣等感をもってみじめさを感じることもないのです。

 毎日が自分のしたいことに時間をかけられるので、友達がいなくても気になりません。

 

 幸せとは自分がそう感じるものであって

 人から見て幸せそうかどうかは関係ないことですが

 自分が幸せかどうかより、人から幸せそうに見えるかどうかばかりを気にするのは

 自分には何もないこと、自分が空しいことを知られたくないからです。

 

 友達がたくさんできれば幸せになるというのでしょうか。

 結婚すれば幸せになると思いますか。

 一流企業にはいれれば幸せになれますか。

 

 幸せは自分で作るものではなくて誰かに運んでもらうものでしょうか。

 

 すべてを得ることは出来ません。

 ですが、すべてが必要なわけでもありません。

 

 要はどこで自分が折り合いをつけるかです。

 

 今の自分の生活でも幸せと感じることは出来ます。

 たとえ、友達がいなくても

 それでも充実して幸せだと感じることは出来ます。

 

 たとえば健康でいておいしく食事を頂けるだけでも

 十分幸せです。

 

 みたいテレビを見れたことだけでも幸せと感じることもできます。

 

 なにからなにまでそろわないと自分の人生が空しいというわけではなく

 どこで自分が折り合いをつけて、これでいいんだと思えるかの問題です。

 折り合えない人はいつも満たされず

 自分の空虚な穴を埋めるために友達や恋人を作ろうとします。

 それでも空しいと、家族を持っていないからだとか

 収入が少ないかからだとか、自己実現できない仕事のせいだとか

 そういうものを持たない自分をはずかしいとか不幸だとか考えるのです。

 

 結婚できただけでも幸せなのに 

 相手の理解が足りない、優しさが足りない、

 挙句には相手の両親が足かせだ

 介護までしないといけないなどと

 足りないものを見続けては自分はみじめだと思い

 他人にはいかにも幸せな家族ですと見せようとする。

 

 幸せに見せようとする時点で、すでに幸せでないのです。

 

 友達がいないことが恥ずかしいことやみじめなのではないのです。

 うまくいっていない夫婦であることがみじめで恥ずかしいのではないのです。

 そういうことに囚われていることが恥ずかしいことなのです。

 

 どういう状況であれ

 自分が幸せであろうとすれば幸せになれます。

 

 なぜなら、幸せとは自分の感じ方なのですから

 

 人と比べて足りないものを見ている限りは幸せにはなれません。

 人に自慢しようとか幸せそうに見せようとか思っている限りは幸せにはなれません。