●いかなる感情もそれが表現されるとそこにある種の美しい輝きが生まれる
いつもこのブログをお読みいただき、ありがとうございます。
愛の旅路(螺旋階段)からようやく戻って参りました(笑)
基本的にこのブログは書きたい時に書きたいことを「表現」として書くという自由なスタンスで進めていこうと思ってます。
ここに書かれている内容が必ずしも人様に役立つものかどうかはわかりませんが、ほんの少しでもご自身の中での内省に繋がるキッカケみたいなものであればいいなと、そんなほど良いノリで書いていこうと思います。
さて、
身体を動かすって多くの人にとっては気持ちがいいと思います。俺の場合、たまに短距離走をしたくなる衝動に駆られます。
その衝動が生まれてくるのは自分の中で抑えこんでいる可視化できない(意識できていない)何かしらの抑圧された情報が原因になっているのかもしれません。
我々の多くはそれをストレスと呼び、おそらくそれを放置してしまいがちですが、ストレスとは実はかなり深い意味があることに気づきます。
ストレスとは「抑圧」という社会病かもしれません。
そして、我々の多くがそれを抱えながら生きているのは「普通」でしょう。
ところが我々は、自分は潔白でありたいとどこかで思っているかもしれません(俺にはそれがあった)。
しかし、自分のうちにあるあらゆる感情は決して悪いものではなく、いかなる感情もそれが表現されるとそこにある種の美しい輝きが生まれます。
たとえば、、、
我々はアート作品を聴いたり、観たりすると、自動的に自分がそこに投影されて感動したり、震えたり、涙が出ることがある。
もちろん、そんな時はしばらく言葉も出ません。
それは、その作品が恐ろしく素晴らしく、恐ろしく美しく、恐ろしく人間らしく、恐ろしく我々の化身になっているからではないでしょうか?
我々はそれを「畏敬の念」と言い表します。
俺は個人的にそう感じます。
そうでなければきっと、アートは生まれていないのかもしれないね(わからんけど)。
ということで、彼らのアートを直接、身体で感じたいという方はこちら(↓)


