●振り返り
実は以前、ニューヨークでチーズを作っていたことがある。
チーズ作りで俺が一番感動したことは、ミルクが酸化し凝固していく、変容していくその光景だった。
大袈裟に言ってしまうと、その光景は、生命が生まれてくるような感じに見てとれた。
液体が個体へ、新しいものが生まれていくという意味において、それは俺にとっては「創造」に映った。
俺は創造することが好きだし、その行為に情熱を感じていた。
この「すでにある既存のもの」を土台にしながら、そこからさらに新しいものへと変容していく。
このチーズは海を越えた日本でさらに変化・変容を繰り返して、当時としては珍しいグラスフェッドチーズへと姿を変えた。
牛、酪農家、チーズ職人、太陽の光などの大自然の壮大なコラボレーション、ハーモニーだった。そんな世界が無意識の中にあったのか、それが物理的に現実化した(そして、さらに変化は進んでいった)。
ちなみに、尊厳という概念が初めて言語化されたのは、この時が初めてだった。
これまでの人生で自分がしてきたことを振り返ってみると、作り出す、生み出す、そんなクリエイティブな取り組みがとても多かったし、それが好きだった。
俺は何かを生み出すとという創造的な行為に没頭していることがいつも、好きなのだ。
端折って話すと、それが今の聖体にもしっかりと繋がっている(今は裏方で)。
チーズから聖体なんて、周りからすれば訳のわからないようなランダムな展開で、変化は進んでいくと思っている(しかし、後から見れば、それらは全て繋がっている)。
話は変わるけれど、インストラクターの先生と、その日が初めてのサーフィンだという方と一緒にサーフィンをする機会があった(俺も初心者だけれど、少しだけ波に乗れるようになっていた)。
それぞれ違う世界、宇宙を持つ人間たちが、ただ純粋にサーフィンを楽しむという場に参加していた。
たとえ波にうまく乗れても乗れなくても、お互いがお互いのチャレンジを褒め合い、喜び合い、そのようにして、お互いを高め合う。
最後はフィンガータッチ(日本ではハイタッチと言う)で、場を共有した者同士がお互いのチャレンジ、場の喜びを分かち合う。そこにあるのは、自分に対して、またお互いに対する愛情だろう。
正直言うと、俺はこうしたことに対しての、ある種の気恥ずかしさや違和感のようなものを感じていた。
そのような「繋がり」に、実は慣れていなかったのだ。
いや、慣れていなかったというよりも、それは自分にとってどこかとても懐かしく純粋なものだった。
しかし、俺はその感情をどこかで失ってしまっていたことに、このようにサーフィンを通じて、身体で、気づいた。