●身体から抜く、外す
アーティストはアーティストである以前に、もちろん生身の、一人の人間です(ということは、我々一人ひとりがアーティストとも言えますよね)。
我々は、無条件で自らの存在に価値があるという概念、尊厳が毀損しているというのが、俺個人の見方です。
尊厳の毀損が起こる根本的な原因は、承認という愛情の欠落です。これは我々が幼少期の頃に自然に育まれてあるべきもの。
承認を得るからこそ、またチャレンジできる、試行錯誤できるようになります。
試行錯誤があり、それが愛情を持って承認されることで子は愛情を感じ、人生の土台としての尊厳が育まれていく。
この繰り返し、このループが、尊厳構築の流れです。極めてシンプルであり、本来はお金などかかりません。
本質的に子を愛さない親などいない、そう思います。
しかしいつからか、その愛情は捻れ、歪み、尊厳の回復が人類レベルでの課題にまでなってしまっている。
なぜか?
それは我々の捉え方が無意識レベルで、すっかり変わっていったからではないでしょうか。
人が物に、存在がお金に、愛情が効率性にというように、愛情が損得感情にすっかりすり替わったというのが、俺個人の見方です。
それでは、尊厳の毀損の背景に横たわっているものとは、何か?
資本主義です。ただし、この主義が善い悪いという二元論的な発想ではない。
豊かになるために人類はとりあえずこの資本主義を試してみた。けれども、その結果として、思わぬ弊害が生じてしまった。
もしかするとこのアイデアさえ、もともと尊厳の毀損があり、それがシステム構築に何かしらの影響を与えていたのかもしれない(わからないですけど)。
アーティストの表現した作品に人が心を奪われるのは、意識できない無意識レベルで、尊厳を毀損された者同士がその高い臨場感空間で、ホメオスタシス同調により真に深いレベルでつながることで起こる。
本当の美、その輝きが生まれるのは?
怒り、憎しみ、悲しみ、寂しさといった、我々が目を背けたい、直面することを避けたい、掘り起こすことを躊躇したがる心の中の闇、抜けない棘のようなもの…
それによって生じた痛みが表現として写像された時ではないでしょうか。
けれども、怒り、憎しみ、悲しみ、寂しさといった感情が持つエネルギーは強烈であり、それらをいつまでも抱え込んでしまうと、身体内で溶解し、被曝してしまうほどの威力を内包していること、我々は認識しておきたいところです。
身体から抜く、外す。