●深い底を探っていって観えて来たもの…
「つまり、何かをすることが好きな人もいるのだ。それをすること自体が。それが自分のアイデンティティの一部と感じているからだ。(中略)人間は何かに魂を捧げたいのだ」
(「身銭を切れ」ナシーム・ニコラス・タレブ著より引用)
「自らの内へお入りなさい。そしてあなたの生命が湧き出てくるところの深い底をおさぐりなさい」
(「若き詩人への手紙 若き女性への手紙」リルケ著より引用)
生命が湧き出てくる…
我々の感情や感覚をあらわしているように感じられますよね。
けれども、そうした「生命」(生のデータ)を、我々は自ら隠蔽し、抑圧し、遮断して生きてしまってはいないでしょうか?
何十年もの間、交感神経優位な状態で、過呼吸に追い込まれて、いつも心に葛藤を感じながら、嘘がバレないように必死になって演じて生きている。
感情や感覚は得にならないものとなり、我々の尊厳は欠損したまま、与り知らないうちに心身はすっかり骨抜きにされてしまう。
深い底を探っていって見えて来たもの…
俺の場合の一例として、聖体、身体、芸術の世界(聖体も芸術だと思ってますけどね)などがあります。
けれども、それらはあくまでもゴールを成し遂げていく上での手段であり、本質的なゴールではありませんよ。