●我々が本当に恐れているもの
「もう一度言おう。人はみな「失敗することが怖い」と言うが、本当に恐れているのは、「成功するかもしれない」と言うことである」
これはジュリア・キャメロンさんの著書「ずっとやりたかったことを、やりなさい」からの引用です。
我々は失敗に不安を感じ、恐れるあまりに心が力み、そのことでまた、身体を力ませてしまいます。
すでに大きな逆境、地獄と感じられるような経験をしているかたであれば、思うようにゴール側へのチャレンジ、取り組み、前進することが難しくなってしまう。
理由は尊厳の欠損ですが、なぜ欠損されたのかといえば、それは幼少期に必要なだけの承認、愛情を受けてきた経験が極端に少ないためです。
いや、むしろ実際には貶められたり、無視されたり、蔑ろにされたりしたことの方が多かったでしょう(我々の脳は肯定よりも否定を多く記憶します)。
これにより認知が捻じ曲がり、見える世界もまたそのように変容してしまいます。
失敗には確かに不安や恐れの感情を伴いますが、その失敗というのは視点を変えてみると…
実は「成功」(自分が望むゴール達成)と観ることも可能です。
つまり、尊厳の欠損により、成功しない自分がセルフイメージになってしまっている。そう無意識レベルで規定しまっている可能性がある。
そうなると当然、成功は失敗と認識され、成功してしまってはいけないと反応します。
「もう一度言おう。人はみな「失敗することが怖い」と言うが、本当に恐れているのは、「成功するかもしれない」と言うことである」
前提としてまず、自分の感情を抑圧しないことが重要ではないでしょうか。
たとえば、生きる根本的な意欲が感じられないという人がいた場合、無意識に自分の感情を自分で抑圧し続けて来てしまっている可能性は高いです。
長い間の抑圧で心が鉛のように固くなってしまい、自分が本当は何をしたいのか、自分の好きなことは、自分のwant toは…
そうした自分のことがもはや、わからなくなってしまっている。
そういう風に心の働きがロックされてしまっているので、人生があらゆるhave toで埋まっていく、生きることそのものがとても陳腐化してしまう。
心がロックされるということはまた、身体もロックされている。
つまり、筋肉は拘縮し、筋肉と皮膚、筋肉同士が癒着し、ホルモン、神経系の働きも適正に機能しない。
聖体後にクライアントさんが子供のように明るい表情に変わっていかれることが多くあります。
これが全てを物語っているなあと思います。
我々が人生で初めて経験する最大のwant to、偉大な尊厳があらわれた瞬間、きっとそれは全身を使って初めて立ち、歩いた時ではないでしょうか?
そこにあるのはwant to、ゴール、注がれた氣、ドーパミン、クンダリーニであり、
健やかな腸と脳の調和のとれた関係性、十分な睡眠、発火した大腰筋(という脳?)であり、
喜びのダンスかもしれません♪