●自分の内にある尊厳を回復し、心身ともに元気になり、子に尊厳を与えていける存在へ
首が痛いとき、そしてその痛い首を善くしたいと思うとき、直接的に痛い首へ施術する方法は思ったほど機能しません。
なぜなら、根本的な原因はそこにない場合がほとんどだからです(他の筋肉、内臓、神経などとの「つながり」を一つずつ丁寧に観ていくとその痛みの原因が観えてきます)。
これは、子の様子が優れず気になるとき、そして子を善くしてあげたいと思うとき、直接的に子へ何かしようとする方法が思ったほどには機能しないことと同じです。
この場合、原因としてあるのは、我々大人の側であり、子に対する親の側です。
そこにしか目の前の子、もっといえば家庭という空間を望むような場に変えていく方法はないと言ってもいいでしょう。
子はかけがえのない大切な存在ですが、それと同じくらい、我々は自分自身もまた、大切にしていく必要があるんです。
自分が変わることで周りもまた変わります。
その逆はありません。
村社会のように、周りの「その他大勢」と自分を同じ存在として、周りが変わることをいつまでも待っていたりすると、行き着く先はきっと同じ現状の繰り返しになっていく可能性が高い。
たとえば、親であるご自身の心と身体をまずはゆっくりと丁寧に癒していきます(そうすることを自分自身に許します)。
すると当然、心身がものすごく緩んでいきます。
リラックスした状態です。
その後いくつものフィードバックが自然と意識に上がってくるようになります。
そしてそのフィードバックこそが現状を変えていくための気づきになります。
あるクライアントのかたとのセッションではっきりと見えてきたことがありました。
そういえば、自分たちは子どもに対して、無理をさせてしまっていた、かなりきついことをさせてしまっていたのかもしれない、、、
こうしたフィードバックというのはやはり、ご自身の心身が実際に緩んでいき、その経験をリアルに身体で実感していくことで臨場感を伴って感じられていくものです。
さらにこの前提としてあるのは、自分が自分自身に対して、そのように振る舞い、無理をさせ、追い込み、厳しくあたり、自分の心や身体を痛めつけていたという事実。
そしてその事実を深掘りしていった先にあるのは、必ず親と子の関係です。
その子とは、存在を蔑ろにされてしまってきた、まさに自分自身。
この私というかけがえのない大切な存在に対する価値、、、
つまり、ひとりの人間として生きるための土台としての「尊厳」が著しく傷つけられてしまっていた私です。
「尊厳」とは、人間が生まれながらにして持っている権利のことをいいます。生まれたばかりの赤ん坊を前にすれば、誰しもそれを感じることでしょう。赤ん坊に価値が備わっていることに異論を唱える人はいません。
人は自分が何で苦しんだのかを他者から認めてもらう必要があるのです。ですが、尊厳の侵害は至るところで起こる普遍的なものでありながらも、それが人間の苦しみの根源として十分に認識されることは今までありませんでした。
そもそもの前提として、我々一人ひとりがこの尊厳という概念自体を教えられていないこと、認識していないこと、育まれていないこと、
また認識できないがゆえにこの概念に対しては現実味も感じられないないし、そもそもどうすれば尊厳を育んでいけるのか、というのが本音ではないでしょうか。
どうすればいいのか?
どうすれば、自分の内にある尊厳を回復し、心身ともに元気になり、子に尊厳を与えていける存在になれるのか?
その方法がこちらにあります。
まずはご自身から、ご自身の尊厳を回復して、心身をレベルアップさせていってほしいと思います。