※ 元司法試験考査委員(労働法)

 

 

今日の労働判例

【国・中央労基署長(クラレ)事件】(東京高判R3.12.2労判1295.94)

 

 この事案は、海外勤務の従業員Kが海外で自殺した事案です。労災の受給資格があるのかどうか、労災保険法3条1項の「適用事業」に該当するのかどうか、が問題となり、労基署Yは適用事業に該当せず、Xに受給資格がない、と判断しました。これを不服とするKの遺族Xが、適用を求めて訴訟を提起しました。

 1審(東京地判R3.4.13労判1272.43)に続き2審も、Yの判断を支持しました(労災保険金の支払いを否定しました)。

 

1.ルール

 この事案では、労働判例であまり見かけないルールが問題となっていますので、ここでもルールの概要を確認しましょう。

 すなわち、海外勤務の労働者に労災保険が支払われるかどうかが問題になりましたが、このルールは、①出張の場合には労災保険が支払われる、②海外事業への派遣の場合には、「特別加入手続き」をした場合にのみ労災保険が支払われる、というものです。

 したがって、①出張か②派遣か、の区別が、労災保険金が支払われるかどうか、の結論を左右する重要な問題となります。諸事情を総合判断しますが、その中でも特に、「指揮命令」の有無が主なポイントになります。

 そして本事案では、会社が特別加入手続きをしていなかったため、Kの海外勤務が「派遣」に該当すると認定されると、労災保険金が支払われないことになります。

 

2.事実

 1審2審いずれも、日本の会社本体ではなく海外の事業所が指揮命令していた、と認定し、労災保険金の支払いを否定しました。

 特に2審では、Xが、Kの給与等は日本の会社本体が管理しており、海外勤務先も日本の会社本体が仕切っているプロジェクトの一部である、などと主張していますが、裁判所は「在籍出向」であった点を重視しています。すなわち、出向である以上、出向先の指揮命令に従うことが予定されていたはずである、という形式面が重視されているのです。

 労働法では、法律的な形式よりも実態が重視され、実態に即したルールが適用される傾向があります(例えば、サービス残業や名ばかり店長)から、「在籍出向」という形式だけで結論が出るわけではありません。1審では、指揮命令の実態に関し、かなり詳細に認定されており、それに追加する事情として、「在籍出向」という形式も追加して考慮すべき要素、すなわち実態だけでなく形式も伴っている、という趣旨の判断と考えられます。

 

3.実務上のポイント

 理由はあまり明らかでありませんが、この会社は、これまでは特別加入手続きをしていたのに、Kに関してはこれが不要と誤解し、手続きをしなかった、と認定されています。

 1審の解説でも指摘したポイントですが、社労士などに確認すべきだったでしょう。

 

 

 

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今日の労働判例

【Allegis Group Japan(リンクスタッフ元従業員)事件】(東京地判R4.12.22労判1295.90)

 

 この事案は、会社Xの従業員Dの退職の際、Dの就職をサポートした会社Yの従業員らがXに押しかけて抗議活動を行った事案で、XはYに対し、①業務停止による損害(復旧まで含めると2日だが、そのうち業務停止していた5時間分の人件費相当額)と、②Dの引継拒否(Yの従業員らがDに引継拒否をさせた)による賠償を求めた事案です。

 裁判所は、Xの請求を否定しました。

 

1.事実認定

 ①は、事務所立ち入りによる業務妨害であり、②は、Dに引継拒否させたことによる業務妨害です。

 裁判所は、①について、立ち入って業務妨害した証拠がない、そもそもYの従業員を呼ぶことをDに許可したのはXである、などとしてXの主張を否定しました。②について、Yの従業員らがDに引継拒否させた証拠がない、としてXの主張を否定しました。

 このように、法律上は、事実認定の問題として処理されました。

 

2.実務上のポイント

 さらに、労務管理の問題として見ると、D退職の際のXの対応が注目されます。

 具体的には、上記1の事実認定に影響はないにもかかわらず、裁判所は、XがDの退職の際に、❶XがDの退職を認めないと伝えたこと、❷退職を強行すると、Dに損害賠償を請求すると伝えたこと、❸損害賠償額は500万が見込まれると伝えたこと、❹Dに対してこれを承諾する趣旨の書類へのサインを求めたこと、という経緯を認定しています。

 従業員の退職は自由であり(民法628条、労基法137条など)、❶はこれに反しかねません。また、労働契約の不履行による違約金や賠償の約束も禁止されており(労基法16条)、❷~❹はこれに反しかねません。

 本事案の解決のためには、本来関係のない事実について、あえて事実認定して示しているのは、違法性を疑われる労務管理に対する警告的な意味があるのかもしれません。

 

 

 

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今日の労働判例

【大成建設事件】(東京地判R4.4.20労判1295.73)

 

 この事案は、会社Yの海外研修制度で米国留学した従業員Xが、卒業後にYを退職したため、留学前の約束(留学後5年以内に退職したら費用を返還する、など)に基づいて、YがXに費用の返還を求めた事案です。その際、XからYに対して、賞与や賃金、立替金、退職金などの請求権があったため、それが相殺された残額が請求されました。

 裁判所は、Yの請求を認めました。

 なお、XからYに対して、出張費用の返還請求が無効であることを前提に、上記各請求権の支払いを求めており、裁判所は、この請求を否定しました。

 

1.消費貸借契約の成立

 1つ目の論点は、消費貸借契約が成立したかどうかです。

 裁判訴は、誓約書(消費貸借契約は誓約書を提出したことによって成立した、と認定されています)Xが留学費用の消費貸借契約の内容について担当者にその内容を何度か確認するなどした点などを根拠に、消費貸借契約が成立した、と判断しました。

 ここでは、意思表示の有効性に関しどのような基準が適用されるか、が注目されます。すなわち、近時の労働判例では、特に従業員にとって不利益な合意・同意をする際、「自由な意思」という高いレベルでの意思表示が求められることがあるからです。ところが裁判所は、「自由な意思」を基準とせず、通常の意思表示と同様に(敢えて判断基準を明示していません)判断しています。(別の論点に関する場面ですが)金銭消費貸借契約は雇用契約とは別の契約であると言及している部分があり、金銭消費貸借契約は雇用契約に関するものではなく、雇用契約上の不利益を与えるものではないことが、通常の意思表示の基準が適用された背景でしょう。もっとも、Xもこの移転を特に問題にしていないので、「自由な意思」が採用されなかったのかもしれません。

 

2.消費貸借契約の有効性

 2つ目の論点は、この消費貸借契約が労基法16条に違反するかどうか、という有効性の問題です。

 労基法16条は、「使用者は、労働契約の不履行について違約金を定め、又は損害賠償額を予定する契約をしてはならない。」と規定されており、海外留学の費用負担に関する合意が、「労働契約の不履行」に関するものかどうか、「違約金」「損害賠償額を予定する契約」に該当するかどうか、議論の余地があります。

 しかし本判決は、労基法16条が適用されるかどうか、については直接言及していません。「労基法16条に反するか否か」という論点設定をしているところを見ると、適用されるかどうかを問題にしている(直接適用性)ようにも見えますが、規定の文言ではなく、規定の趣旨に合致するかどうかを問題にしているところを見ると、適用されないことを前提に議論している(類推適用性)ようにも見えます。少なくとも言えることは、本事案では、「労働者の自由意思を不当に拘束して労働契約関係の継続を強要する」かどうか、が判断基準とされたのです。

 そのうえで、①留学先やその内容の選定がXの自由だったこと、②X個人の経歴に資するものだったこと、③返済金額や条件が不合理ではないこと、、④留学は業務でないこと、⑤その他、を理由として(もちろん、それぞれ具体的な事実と証拠によって慎重に認定されています)労基法16条に反しない、と判断しました。

 ここで特に注目されるのは②と④です。これらは、多くの裁判例で表裏の関係として議論されています。すなわち、留学(事案によっては、留学ではなく研修)が業務であれば、無効とされる可能性が高くなり、業務ではなければ可能性が低くなる、とされ、個人の経歴に資することは、業務でない面を強くする要素、と整理されている裁判例が多いように思われます。

 けれども、②と④は、どちらかという風に簡単に割り切れるものではありません。会社がわざわざ従業員に仕事をしない時間と相当の金銭的補助を与えて勉強させるのですから、将来、会社にそれが還元されることを期待しているはずです。単なるご褒美で、何の還元も期待せずに留学の機会を与える場合の方が稀でしょう。他方、従業員としても、例えば海外留学の経験やそこで得た資格(大学や大学院の卒業、MBA、現地の専門家の資格など)を、絶対にその会社のためにしか活用しない、と考えている人よりも、会社を離れた場合にも役に立つと考えている人の方が多いでしょう。

 そうすると、②と④はそれぞれ独立して、しかもそれぞれ「ある」「なし」の二者択一的な判断がされるのではなく、②と④のいずれの要素が強いのか、という相対的・総合的な判断がされるべき要素である、と考えた方が、より実態に合致した判断方法のように思われます。

 本判決は、形式上は②と④を分けて、それぞれの該当性を判断していますが、④で指摘した事実には②に関わるものも多く含まれており、実態は、②と④の相対的・総合的な判断がされている、と評価できるように思われます。

 

3.相殺合意の有効性

 3つ目の論点は、未払いの賞与や給与等との相殺の合意が有効かどうか、という労基法24条1項に関する問題です。上記1の中で、誓約書の有効性が問題となりましたが、誓約書が、5年未満の退職の場合の相殺を認める内容だったことから、ここでも、誓約書の有効性が問題となりました。

 裁判所は、上記1と同様の事情を指摘して「自由な意思」がある、として相殺を有効としました。

 先例となる最高裁判例(日新製鋼事件(最二小判H2.11.26労判584.6)が、相殺の有効性の判断基準として「自由な意思」を設定していることから、「自由な意思」がここでの判断基準になったのですが、上記1と同じような判断なのに、上記1では「自由な意思」が判断基準とされていませんから、両者間で異なる判断基準となってよかったのかどうか、なぜなのか、もう少し詰めた議論がされるべきかもしれません。

 

3.実務上のポイント

 各論点について、上記のとおりそれぞれ検討すべきポイントが残されていますが、留学や研修の費用の返還請求に関しては、それが転職の機会を奪うものかどうか、逆に本判決が上記2で言うように、従業員の自由意思を制約するかどうか・労働契約継続を強要するかどうか、ということが、最終的な判断の分かれ目であることについては、ほとんどの裁判例で方向性が一致しています。

 結局、会社が機会・資金を提供する際の条件として許容されるかどうか、という面と、従業員の職業選択の自由の制限として許容されるかどうか、という面の、バランスの問題です。

 この観点から見た場合、本判決も他の裁判例と同様、会社側の事情と従業員側の事情として、どのような事情がどのように評価されるのか、という観点で、実務上参考になる事案です。

 

 

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