今日の労働判例
【MSD事件】(東京地判R3.10.27労判1309.89)
この事案は、企業年金の統合が行われた会社Yの従業員Xが、企業年金の統合が無効であるとして、統合前の企業年金の規定が適用されることの確認を求めた事案です。
裁判所は、そもそもこのような訴訟自体、提起できない違法なものであるとして、「却下」しました。請求の中身について否定(棄却)したのではなく、裁判所が判断すべき事案ではない、という意味で、いわば門前払いになります。
1.理論構成
裁判は、紛争解決のツールとして、国家権力による強制力(例えば、判決に基づいて強制執行できる場合があります)を伴う判断ができますので、非常に強力です。
けれども、法的な解決ができないのであれば、この強力なツールを使うべきではなく(社会的コストなど)、法的なトラブルに限って裁判を利用することができます。
本事案では、Xが実際に企業年金を受け取るのは将来の話であり、将来は、法的な(権利関係に関する)紛争になります(年金を権利として請求することになるからです)が、現時点で、法的な紛争と言える(訴訟適格がある)のかどうか、が問題になりました。
そこで裁判所は、以下のような理由から、Xの請求を否定しました。
① 原則論
Xの請求は、将来の権利であって現在の権利ではない。仮に、条件が成就した場合に請求可能な条件付き権利である(したがって現在の権利である)としても、規則が変更される可能性などがあり、現時点で訴訟によりその内容を確定するのに適さない。
すなわち、例外的に訴訟可能とすべき「特段の事情」が認められず、訴訟は認められない、としました。
② 積立義務
Xは、将来の給付を確実にするために年金を積み立てる義務があるのだから、現時点での法的な問題であると主張しました。
しかし裁判所は、年金の基金に具体的な不安が生じているわけではなく、将来の給付を確実にするための訴訟は認められない、としました。
この点の裁判所の理由付けは、どこか議論がかみ合っていないようにも思われますが、どのように感じますか?
③ 現在の地位
Xは、規約変更によりXの現在の権利・地位が不安定になった、と主張しました。
しかし裁判所は、実際にXに受給権が発生した時点で争うことが可能、としました。
この点も、法的な地位を問題にしているのに、権利の有無の問題として整理されており、②と同様の議論のずれがあるようにも思われます。
④ 重大性
Xは、不安定・不明確な状態を解消する、重大性を主張しました。
しかし裁判所は、そのような重大性はない、という趣旨の判断をしました。
以上のように、どの年金基金に帰属するのか、という地位の問題というよりも、実際に請求できる年金の内容の問題と整理することにより、Xの請求を否定した、と整理できそうです。
2.実務上のポイント
現時点で具体的な権利主張が予定されていなくても、将来的な権利や現在の義務をまとめた法的地位が観念されることがあります。例えば、Aに帰属する地位ではなく、Bに帰属する地位を確認したい場合もあるでしょうが、本判決の議論によれば、それが現実の請求権や権利主張の差を現時点で伴わない限り、訴訟でBの地位にあることを確認することが難しくなってしまいます。
例えば、本事案では年金受給権の側に光が当てられましたが、積み立てる保険料の金額が、統合前と統合後で違った場合にはどうでしょうか。統合によって保険料が上がってしまった、違法な統合だから、従前の保険料しか払わない、という法律構成になれば、訴訟適格が認められ、紛争の中身に関する検討がされたのでしょうか。
裁判所が忙しいのかもしれませんが、法律問題を裁判所が解決することは、法治国家の基本です。訴訟適格の問題は、今後も注目されるべき問題です。