※ 元司法試験考査委員(労働法)

 

 

 

 

今日の労働判例

【国・人事院(経産省職員)事件】(最三小判R5.7.11労判1297.68)

 

 この事案は、トランスジェンダーの職員Xが、勤務先の経産省Yで女性として処遇されるように申し入れてきた事柄や経過について、Yの対応や決定に問題があるとして争った事案です。Xが問題にしたY担当者の言動や、Yの決定(Xの要求を拒否するものなど)は多岐にわたります。

 1審はこのうち、女性トイレの使用制限(執務室の上下1階の女性トイレの使用を禁止)と、上司Aの「なかなか手術を受けないんだったら、もう男に戻ってはどうか」という発言について、違法であると判断しました。

 2審は、後者の判断は維持しましたが、前者(トイレ制限)について判断を覆し、トイレ制限についてのYの責任を否定しました。

 最高裁では、トイレ制限の問題についてだけ判断がされ、2審の判断を否定し、1審の判断を維持しました(2審を破棄しました)。

 

1.判断内容

 最高裁は、まず、2審を以下のように要約しました(傍線は筆者)。

「経済産業省において、本件処遇を実施し、それを維持していたことは、上告人を含む全職員にとっての適切な職場環境を構築する責任を果たすための対応であったというべきであるから、本件判定部分は、裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したものとはいえず、違法であるということはできない。」

 そのうえで、「一般国民及び関係者の公平並びに職員の能率の発揮及び増進」の観点から与えられた裁量権(人事権)に関し、「裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用した」かどうかを判断基準と設定して、以下のような理由(概要)で、2審の判断を否定しました。

❶ Xは、トイレ利用階の制限により、日常的に相応の不利益を受けている。

➋ Xは、性別適合手術を受けていないものの、治療を受けていて、性衝動に基づく性暴力の可能性は低い旨の医師の診断も受けている。

❸ Yによる、Xの性同一性障害に関する説明会(本件説明会)の後、Xが女性トイレを使用してトラブルが生じたことはない。また、本件説明会では、数名の女性職員が違和感を抱いているように見えたにとどまり、明確に異を唱える職員はいなかった。

❹ 本件説明会から約4年10か月後にも、Yは、Xによるトイレの利用階制限撤廃の再度の要求を否定したが、女性トイレの使用状況の調査や制限の見直しは検討されなかった。このように、Xの女性トイレ使用によるトラブルは想定し難く、特段の配慮をすべき他の職員の存在が確認されてもいなかった。

❺ つまり、Xに不利益を甘受させるだけの具体的な事情は見当たらなかった。

 このような理由から、結論として、「①本件における具体的な事情を踏まえることなく②他の職員に対する配慮を過度に重視し、③上告人の不利益を不当に軽視する」ものであって、「④関係者の公平並びに上告人を含む職員の能率の発揮及び増進の見地から判断しなかった」から、著しく妥当性を欠く、と判断しました(○の数字は筆者)。

 以上が、裁判官全員共通の「法廷意見」です。

 まず、この「法廷意見」を整理してみましょう。

 ❶➋がX側の事情(=③)、❸❺が他の従業員側(≒Y側、=②)の事情、❹は両者を調整すべきプロセスの問題、と整理することもできるでしょう(①④は、判断の方法や視点)。すなわち、合理性の判断枠組みの一般的な形として見ると、「天秤の図」そのものであり、一方の皿が従業員側の事情(❶❷③)、他方の皿が会社側の事情(❸❺②)、支点に当たる部分がプロセス・その他(❹)、という形に整理できるのです。

 このように整理すると、X側の不利益が大きいのに、Y側の不利益が小さく、プロセスも不十分だったから、Yの判断の合理性が否定された、と評価できるでしょう。

 

2.補足意見

 さらに、(他者の補足意見に賛成するだけの裁判官もいますが)全裁判官が何らかの形で補足意見を表明しています。これらの補足意見が、それぞれ相互に、あるいは法定意見と比較して、どこがどのように違うのか、対立点が明確でなく、分かりにくいのですが、上記❶~❺、①~④以外に具体的に指摘された理由には、以下のようなものがあります。

➋‘(裁判官宇賀克也)性別適合手術を受けていない場合であっても、自らの性自認に基づいて社会生活を送る利益をできる限り尊重した対応をとることが求められていた。

❹‘(裁判官宇賀克也)女性職員の違和感・羞恥心等は、研修により、相当程度払拭できると考えられるが、かかる取組をしていない。

❶‘(裁判官長嶺安政)不利益を被ったのは上告人のみであった。

①‘(裁判官渡邉惠理子)両者間の利益衡量・利害調整を、感覚的・抽象的に行うことが許されるべきではなく、客観的かつ具体的な利益較量・利害調整が必要。

❹‘(裁判官渡邉惠理子・裁判官林道晴が賛成)トランスジェンダーのトイレ利用への違和感は、当該事情の認識・理解・時間の経過によって緩和・軽減することがあり、プロセスを履践することも重要である。

❸‘(裁判官渡邉惠理子・裁判官林道晴が賛成)女性職員らが異議を述べなかった理由も多様である。

⑤(裁判官渡邉惠理子・裁判官林道晴が賛成)取扱いを一律に決定することは困難であり、個々の事例に応じて判断していくことが必要になることは間違いない。

❸‘(裁判官今崎幸彦)本件説明会後の意見聴取の際には女性職員から表立っての異論は出されていない。

⑤‘(裁判官今崎幸彦)一律の解決策になじむものではない。

⑥(裁判官今崎幸彦)本判決は、トイレを含め、不特定又は多数の人々の使用が想定されている公共施設の使用の在り方について触れるものではない。

 このように見ると、特に具体的な事実(黒数字)に関し、補足意見は別の事実を指摘するというよりも、法廷意見が指摘した事実をそれぞれの視点から詳しく説明するものである、と評価できるでしょう。すなわち、具体的な事実については、法廷意見が全体を網羅している、と考えられます。

 

3.実務上のポイント

 1審と比較した場合の2審の特徴は、上記1冒頭では、他の職員の利益を重視している点にあるような表現となっていますが、その具体的な内容を見ると、利用階制限を決定「前」に、YがXの数多くの希望を聞き、検討の結果、Yがその多くを受け入れ、利用階制限については逆にXも当初は受け入れていた、という経緯(事前プロセス)が重視されています。

 しかし、最高裁判決ではこの点への言及がありません。

 そのかわり、同じプロセスの問題であっても、利用階制限の決定「後」のプロセス(事後プロセス)が不十分であった、という趣旨の指摘がされています。

 一度決定した利用階制限のプロセスの合理性は、決定後のプロセスが重視されていることから、評価するまでもない、ということなのでしょうか。あるいは、決定前のプロセスの合理性は、最初の利用階制限の決定の合理性の問題の一部でしかない、ということなのでしょうか。いずれにしろ、それなりに事前プロセスをしたとしても、事後のプロセスが不十分であれば違法となってしまう、ということが示されたと言えるでしょう。

 理由はともかく、事前プロセスに関して最高裁は良いとも悪いとも評価していませんが、利用階制限などのような、従業員に不利益を与える判断を下す際に、適切な事前プロセスをすることは重要であり、これを行えば会社にとって有利に評価される、という点は実務上、非常に重要です。最高裁で評価が示されなかったとしても、2審がこれを積極的に評価した点は、実務上も重視すべきポイントの一つです。

 

 

 

※ JILA・社労士の研究会(東京、大阪)で、毎月1回、労働判例を読み込んでいます。

 

 

※ この連載が、書籍になりました!しかも、『労働判例』の出版元から!