※ 元司法試験考査委員(労働法)

 

 

今日の労働判例

【栃木県・県知事(土木事務所職員)事件】(宇都宮地判R5.3.29労判1293.23)

 

 この事案は、双極性障害を負った公務員Xの退職願を受けて栃木県Yが出した免職処分の有効性と、退職勧奨を行った上司の不法行為に基づく国賠法上の責任を争った事案です。

 裁判所は、免職処分は無効として、Xの公務員としての地位を認めましたが、Yの国賠法上の責任は否定しました。

 

1.法律構成

 Xが公務員の地位を失うのは、Yの一方的な行政行為である免職処分によるため、退職願いは無関係であるようにも見えますが、免職事由がない場合には本人の意思に反する免職が無効になるため、退職願いは免職無効にならないための意思確認です。このことから、退職願いが本人の意思に沿っていない場合には、免職が無効になる、としました。

 公共団体からの一方的な行為である免職と従業員からの退職願の関係を、どのように関連付けるのか、参考になります。

 そのうえで、Xの免職の有効性について、Xは錯誤や詐欺も主張していましたが、裁判所は、錯誤や詐欺について検討せず、退職願いが「自由な意思」に基づくものかどうかを検討し、Xの主張を認めました。

 「自由な意思」と錯誤・詐欺の関係ですが、「自由な意思」は、意思表示の成立段階の問題であり(つまり、「自由な意思」が否定されると、意思表示が成立しなかったことになります)、錯誤や詐欺は、意思表示が成立したものの、意思表示に欠陥(瑕疵)があることを理由に意思表示の効力を否定する問題ですから、本事案のように「自由な意思」が否定されてしまえば、錯誤や詐欺は問題になりません。その意味で、「自由な意思」と錯誤や詐欺の関係が明らかにされたものとして、参考になります。

 もっとも、本事案と逆の判断、すなわち「自由な意思」があると認定され、すなわちかなりしっかりと本人の意思が確認されたが、それでも錯誤や詐欺が成立すると認定される場合があるのか、現実問題としてこれを正面から認めた裁判例はないように思われます。理論的に、議論する順番を整理するだけでなく、実際に、意思表示の効力が否定されるためのレベルや相互の関係については、今後、議論されていくべきポイントです。

 

2.自由な意思

 自由な意思を否定したポイントは、①双極性障害による傷病休暇中で、実際に体調も悪い状態だったこと、②医師や家族の同席もなく、退職以外の選択肢も示されず、面談からわずか2日後に退職願が提出され、③面談は、Xの責任を追及するような比較的厳しい内容だったこと、④面談時にはXが一貫して復職希望を表明していたこと、などです。

 労務トラブルに関する裁判例で、特に、従業員が自分にとって不利益な判断をした場合に、単なる意思表示ではなく、よりレベルの高い「自由な意思」を求められることが多くなりました。そこでは、その従業員にとって不利益な事情をしっかりと理解し、それでも不利益を受け入れる覚悟で意思表示したかどうか、という観点から検討されることが多いようです。

 しかし本判決は、重視しているポイントが異なります。退職すると収入が無くなる、など、Xが被る不利益が歴然としているからでしょうか、不利益な事情の説明や理解は問題にされていません。そのかわり、Xが復職希望から退職受け入れに変わる合理性が、様々な観点から検討されています。

 「自由な意思」の判断方法につき、不利益の受け入れとは違う方法での判断として、参考になります。

 

3.実務上のポイント

 国賠法の責任については、一方で自由な意思を否定する内容である(上記③)と認定されたのに、他方で国賠法の責任は否定しました。Xの「自由な意思」を阻害する一要素となるほど厳しい内容だが、ハラスメントと評価されるレベルではない、ということになります。

 このように、Xの上司の言動の評価は、非常に微妙だったことがわかります。

 そうすると、実際にXの上司がどのように話をしたのかが問題になります。実際に話した内容を見ると、主なものだけで、以下のように非常に厳しいものです。

・ Xは過去に何度も傷病休職を取っており、復職のハードルが高いこと

・ 復職後、仕事の責任を果たせる覚悟があるのか

・ 何度も傷病休職を取っていることは、県職員に向いていないという見方もできる

・ その間の給与に対し、県民の理解が得られると思うか

・ 職場に甘えてきたのではないか

・ 後進に道を譲るとの考え方もできる

・ 他の職員に負担がかかる、多忙時には深夜0時を超える残業もあった

・ 今後も、忙しい状況が発生する可能性を踏まえて考えるように

 これらを見ると、状況によってはハラスメントが成立し、不法行為や国賠法の責任が認められる場合もあるレベルでしょう。

 単に、どのような内容の言葉を発したのか、ということだけでなく、Xがこれまで何度も傷病休職を取っていた、等の諸事情を総合的に判断して、ハラスメントでないと判断されたことがわかります。

 したがって実務上、簡単に「NGワード」かどうか、等と片付けるだけでなく、状況や文脈など、諸事情をしっかりと把握して検討することが重要です。

 

 

 

※ JILA・社労士の研究会(東京、大阪)で、毎月1回、労働判例を読み込んでいます。

 

 

※ この連載が、書籍になりました!しかも、『労働判例』の出版元から!