最近、
殺人とかのニュースが
増えてるような気がします。
特に気になるのは
若者たちの事件。
高校生が同級生に
依頼したりとか…
そういう人らを
責める人たちもいるけど、
場合によっては、
親の責任でもあるなぁ~
と思わせる事件もあります。
磯田道史著『武士の家計簿』
数年前に映画化され話題になったので、
ご存知の方も多いかと。
特に印象に残ったのは、
武士の教育方法。
武士にとって学問と武芸は
身を立てるために
極めて重要な手段でしたから、
子弟の教育は重視されました。
その教育を担ったのは父親と、
父親が選んだ師匠で、
教育を学校に任せるのが
一般的になったのは、
明治時代になってから
なのだそうです。
当たり前ですが、
教育の責任は学校ではなく、
親にあるんですよね。
学校の文句言ってても
しょうがないんだよな、
と変なところで
納得してしまいました。
江戸時代の武士の教育は
学校に頼っていなかったというのは、
二つの意味で示唆的でした。
一つは、
今、制度化されていて
当たり前と思っていることの多くが、
明治以後につくられたもので、
それ以前は自前が当たり前だった
ということ。
食料、エネルギーだけでなく、
教育だって自前、
自給自足が前提だったのです。
もう一つは、
教育の前提は人にあるということ。
父親と父親が選んだ師匠が
教育係だったということは、
「何を教えるか」より、
「誰が教えるか」のほうが
重要だったということです。
一人は父親ですが、
父親以外にもう一人いる
というところもポイントですね。
しかもそれは、
職業としての「先生」ではなく、
「師匠」なのです。
師匠は、
教えることを仕事にしていません。
自ら生きる道を持っていて、
その生き様を弟子が真似て盗む。
弟子が師匠と思うから
師になるだけであって、
職業教育者ではない。
職業教育者に
教育を委ねようとしていることが、
そもそもの誤りなんですよね、
たぶん。
親自身がもっと責任を持つ
ということと、
格好いい大人を見つけて、
その大人に弟子入りさせる
ってことが、
重要なんだろうなぁ
と思う今日この頃です。
hiro