はじめまして。
いつも楽しくブログやリール動画を拝見しています。
たまたま(はありませんが)こちらのブログを拝読し
今自分が向き合っている父や母との関わりについて改めて考えました。
わたしの場合は父は理知的で優しく
利己的なのは母というバランスですが
母に振り回されて育ったわたしには
父の存在が恐らく他の親子より大きく
親離れ、自分放ちをどうするのかは
今だに横たわる課題です。
父にある時言われた
『人間というのは他人が思うほど小さな存在ではないし
自分が思うほど大きな存在でもない』という言葉は、わたしが人間関係や自身の精神を見直すときに思い起こす言葉です。
父も子も皆が平凡でも穏やかな幸せに包まれる毎日であることに感謝して。
薫さん、おはようございます。
父からの助言は、
「とにかく人間は最初の印象が大事。
最初に良い印象を与えておけば、
何かやらかしても大目にみてもらえる」
やらかすこと前提の助言笑笑。
でも、バイトや仕事の時は、この助言の
通りになっていた気がします。
母からの助言は、
「人を蹴落とすのではなく、
その人を超える努力をしなさい」
これを実践していたおかげか、
誰かに騙されたり、恨まれたりすることもなく、
今まで生きてこれています。
両親に対しては、怒りも多いのですが、
改めて考えてみると、
とても愛されていたような…
久しぶりに、親に対して感謝です。
このような気持ちにさせてくださった
薫さんにも、感謝です。
ありがとうございます。
初めてコメント致します。
私が母から受けた助言です。『施して報いを願わず、受けて恩を忘れず』こんなことを小学生の頃から言われたのですが、50を過ぎた今の私にぴったりだなぁと思い暮らしております。
コロナで2年以上会えていません。会いたいなぁ。。。
亡くなった父親から学んだことは、
家族のために自分を犠牲にすることで愛情を現してくれたことです。
おかげで家族は不自由なく暮らせましたが、もう少しいっしょにいて欲しかったと思います。
生き方としては非常に尊敬しています。
感謝を日頃から忘れないようにします‼️
ありがとうございました💕
薫さん、こんばんは。
かなり日数が過ぎていますがコメントさせてください。
私が高校生の時に、今は亡き父と交わした会話の中で
『お父さんは自分にもしもの事があっても、お母さんやお前たちが困る事のないようにしてきたし、これからもしていくから、将来お前たちが結婚する相手も、お父さんと同じようにできる男であってほしい』という言葉がありました。
当時の姉の交際相手が、共働きでようやく生活していける経済力だった事から派生した話だったのですが、
父がそんなふうに考えていた事を知れる良い機会でした。
この5年後、父に本当にもしもの事が起こりましたが、残された私たちが困る事は何もありませんでした。
明日が父の23回目の命日です。
私が23歳の時に亡くなったので、私が生まれてから父と過ごした年数よりも、父が亡くなってからの年数の方がこれからは長くなっていくのだと、感慨深くなっていたところだったので、
あまりにもドンピシャなブログをありがとうございます。
年明けからバタバタしていて、いま年初からのブログを一気読みさせていただいてます。
遅ればせながらですが、毎日コメント参加します!
とくに親からの教えや助言といってもなく、色々と思いめぐらすと、「はんこは押すな」と「どんなに仲の良い人にでもお金は貸すな」とは言われていたなぁと思い出しました。
自分の娘には、心に残る言葉を残してあげられたらなと思いました。
大好きな祖母には、亡くなる前の入院中のベッドの上で「春美が幸せならそれでいい」と言われました。
その言葉はよく思い出します。
何だか落ち込んでいました。楽しい予定が終わったせいかもしれません。ブログお邪魔してコメント考えて、、ありがとうございます。
父母は存命ですが義父を亡くしました。
自分が親の歳になってきてはじめて、
過去には嫌だったことも、あのときの親は今の自分くらい40歳少しとかで、一生懸命仕事しながら、食事つくって相手してくれてたんだなって、おもいます。だから何というか「親」だけじゃなく一人の人として、残った時間をみれたらとおもうのですが。親は親ですね。難しいです
それに彼らがいてくれるだけで、何も大金も名誉もない自営業夫婦ですが、私は守られて安心しているとかんじます
あと風邪でつらいときなどは、母とよく預かってくれた祖父母をおもいだします
多忙な母以上に厳しかった父以上に祖父母は優しくて甘えていました。子どもにはわからない苦しみもあっただろうに、幸せな時間をくれた彼らに感謝しています。
薫さん、こんばんは。
「お金は天下の回りもの」
「お金を追いかけると、ろくなことがない」
最近、母親が言っていた言葉を痛感する出来事があり、
痛い経験により、わたしの教訓となりました。
父は薫さんのお父様の若い頃にそっくりの家庭人でした。家にいるのが嫌で、田舎の実家を出て上京、何度か手紙をくれましたが一度だけ書いてあったこと。
「辛く(嫌に?)なったら帰って来なさい」
帰る気などさらさら無かった(笑)若い私は流し読みしてましたが、数年に一度思い出します。
後、母からの最後の留守電に入っていた言葉。
「全部やってあげるから帰って(帰省)来なさい」
どんな親でも有難いものだ、と自分が歳を重ねて来るとやっとわかってくるものです。
老いって人を弱く(丸く)するものだな、って親を見て感じていたことがだんだん自分の事になって来ています。
薫さんこんばんは🌙*゚
若い頃、会社を辞めて東京の実家から北海道へ住み込みのバイトへ行きたいと言い出した時。。
その頃の私は「このままでいいのだろうか」と、色々悩んでいて、でも傍から見れば突拍子もないことですよね。。
「お前は今あるものを全て捨てて行くのか。」と、猛反対され、諦めました。
あの時、好きなようにしなさいと言ってくれたら。。それでも行くと言えていたなら。。
助言ではないですね笑
我が子達には、思ったことをすればいいと言ってあげたいです。若い時しか出来ないことはやっぱりあるから(^^)
そして自分も、思ったようにこれからは生きていきたいです。