昨夜はオンランサロン・カオラボご受講、

ありがとうございました。

 

 

あなたの魅力は、思っている以上に

ご自身の中に、たくさんあることに

お気づきになったかと思います。

そして、その魅力を定着・育てることに

ついてもお話ししましたが、

宿題の書き出しワークは是非とも

取り組んでみてくださいね。

 

 

さて、本日の記事は

ちょっと理解し難いものかもしれませんが、

人間の最終系・・・とでもいうのか

私が目指している部分と言えるかも

しれません。

 

 

「これでいいのだ!」について。

誰もが知っている言葉、

天才バカボンパパの言葉です。

 

 

最近、仏教について学んでいるのですが、

興味深いことを教えていただきました。

 

 

「バカボン」という名称の由来は、

仏教用語でお釈さまの敬称の世尊で、

サンスクリット語の「Bhagavad

(ヴァガバッド)」から名前をとり、

意味は悟った人(または覚った人)

世にも尊い素晴らしい人

という意味だそうです。

 

 

つまり、ブッダと

同じ意味を持つそうです。

バカボンパパ、ただものではないと

思っていましたが、背景は仏教の教えに

あったことがわかりました。納得です。

 

 

実際に、さまざまな出来事に関して

「これでいいのだ!」と

言えるようになったら

人生の学びの最終に入ると

個人的には感じます。

 

 

私たちは「これでいいのだ」

と思えないから、苦しんだり、

悲しんだり、思い通りにならない

 つらさを味わうのです。

 

 

私はその感情ですら、

人間らしくていいな、とは思っています。

例え、避けたいようなことが

自分の身に起きたことでも。

(その時はもがくほどしんどくても)

 

 

つらい時に

「人間やっているな〜」と思えますし、

悲しくなると、自分がそういうところに

まだ執着心があることがわかります。

 

 

感情の移り変わりで、

自分の本質を知ることができて、

57年間も付き合っている自分ですが、

まだまだ興味深いとさえ思うのです。

 

 

目の前と世の中に起きる

嫌な出来事が腹が立つ、

苛立つ、恐れ、心配、不安は、

執着しているからの感情です。

 

 

その反対側のことに執着しているのです。

 

 

偉そうに書いていますが

(決してそうではないのですが)

私に執着はないか?

というと、たった一つだけ、

私を弱くさせる要因があります。

それも執着が関係しています。

 

 

ハナがかわいすぎて苦しいこと。

 

 

冗談ではありません。

苦しいというのは大袈裟かもしれませんが、

私の足枷(あしかせ)になっているのは

間違いないです。

 

 

ハナに寂しくなってほしくない、

ということに執着しているので、

実際には、その真逆な事象が

たくさん起きています。汗

 

 

私がいないとハナが淋しくなる。

それを知った私も淋しくなる。

家にいたいと思うようになる。

外での仕事ができん!・・・みたいな 笑

いや、笑い事ではないのです。

 

 

ま、元々27年前に、

在宅ワークをしたい!と決意したのは、

犬と家でずっと過ごすため、

という子供じみた願いから

今のライフスタイルになったのが

最初でした。

 

 

あの時、

その子供じみた理想と願いを持って

本当に良かった。結局それは最高の

理想の形で叶ったから。

 

 

これは、愛情からくるものですが、

仏教でいる愛情は執着と関係しているので

ネガティブ要素があるのです。

 

 

「渇愛」という言葉で

表されているのですが、

字のごとく、愛を渇望する、

つまりそれが執着なのです。

 

 

私は出張に行く時に、

特に海外に行く前などは

執着しないように思考のトレーニングを

するようにしています。

 

 

つまらなさそうにしている

ハナに言い聞かせます。

 

 

「あなたは恵まれている。

私はほとんど家にあなたと一緒にいる。

365日中、300日以上、家に一緒にいる。

あなたと一緒にいるために

仕事を調整している。

それは幸せなことではないの?

 

 

私もさみしいけど、がんばっているんだわ。

あなたのご飯、薬、病院代、ペットシーツ

美味しいおやつを自由に買えているのは

この仕事をやっているのだから・・・」

 

 

と、長々とハナと自分に言い聞かせて、

家を出た後は、心配と淋しさ

という重荷は捨てていくのです。

マイケルもハナのことも出張中は

できるだけ考えません。

 

 

夜寝る時だけ、彼らに私の愛の波動

(怪しいけど 笑)送ります。

彼らを抱っこしているイメージで。

 

 

何度も何度も淋しさと

ハナを思うちょっとした苦しさに

戻りながらも、その前向きな思考に

意識を集中しています。

 

 

どんなことが起きても、

どんなふうになったとしても、

 

 

これでいいのだ

 

 

と言えるほどに精神性が高まれば、

もう、何も怖いものはないのです。

 

 

よく友人たちと話します。

これからの日本のことを・・・

 

 

確かに不安要素はたっぷりあり、

どう転ぶかわからないくらい

不安定な時代ではあるのですが、

それでも、何があってもなくても

もうしょうがない、それが人生なのだ、

それを受け入れるしかないよねと。

私たちが話しても、

最後辿り着くところはいつもここ。

 

 

東日本大震災が起きた時、

地震の二次被害として

原発の不安が一気に高まりました。

 

 

読者さんたちからは、東北は危険です。

西に逃げてください。

空いているアパートお貸ししますから。

などの申し出がありました。

 

 

しかし、ここを

離れる気にならなかったのは、

自分だけ生き残っても何になるのだろう、

という諦めがあったからです。

 

 

当時、母も生きていましたし、

実家では、家が海に流された

ご家族たちがそこに寄り添い

畑の野菜で生きていました。

 

 

彼らをおいて自分だけ逃げてもな・・・

自分だけ生き残ってもな・・・

なるようにしかならないし、

もしここで命が終わるとしたら

そこが天が定めた寿命ってことで。

と思っていました。

 

 

私の命は天に預けている感じです。

 

 

これでいいのだ・・・

 

 

この言葉はあきらめて

何もしない時の言葉ではなく、

自分で努力して行動して、がんばったのち、

どんな結果になったとしても

受け入れる、言葉。

これでいいのだ

 

 

 

本日の質問 

 

もしあなたが今こだわっている何かに

「これでいいのだ」と思えたら、

今と違ってどうなると思いますか?