私の魂のお里。モニュメントバレー

 

 

死を思えば、

どう生きるかを考える

生き方が変わった日 

~悔いのない生き方を~

 

 

今日は、日本全国、10年前を振り返り、

命を考える日になるかもしれませんね。

3.11 から10年が経ちました。

 

 

早いようで、長かったようで、

10年前の今日は、死生観が

変わった日となり、人生の中で

大きな決意をした日にもなります。

 

 

何もない状態でも、

生きているだけでありがたい

状態であることや、

たとえ裕福でなくても

平安な日々が何よりも

幸せであること。

 

 

そして何よりも、

私達はいつ死ぬかわからない、

だからこそ、悔いなき人生を

送るために、やりたいことは

先送りせず、全部やる!

そんな決意をしたときでもあります。

 

 

3月11日以降、

地元に戻って海岸沿いの家を

見たときには、まるで時が

止まったかのような感覚になりました。

 

 

まるで焼け野原のような状態でしたが、

もっとリアルに感じたのは、

焼けていないわけで、

ちょっと前までは普通に使われていた

日常品が生々しく、それらが

ぐちゃぐちゃになっていました。

 

 

お金はあっても物が買えない。

お金は紙切れ、現場ではブランド物も

ただのゴミに化している。

 

 

津波が襲った場所の松の木の

上の方に、ヴィトンのバッグが

引っかかっているのを目にしたときに、

実は涙も流れず、心も無感覚。

言葉では表現できない感覚でした。

 

 

リアルな現場を見ているのに、

まるで視点がどこにも合わないような

そして、言葉もでない。

変な感覚でした。

 

 

そして、日に日に、亡くなった

知り合いの人々の名前を知り、

そこでも呆然として、

もう無感覚な状態。

 

 

しかし、被災で2万人が亡くなっても、

家族の中でたった一人がなくなっても、

悲しみの度合いは変わりません。

 

 

家族にとっては、

たった一人が亡くなっても

ドン底に落ちるほど悲しみは

大きいのですから・・・

 

 

昨日は、Shizさんと打ち合わせを兼ねて、

色んな話をしましたが、

先日、広島の元温布のメンバーが

若くして急に亡くなりまして、

再び自分の生き方や在り方、

命について深く考えさせられました。

 

 

まだ40代でした。

ずっとメッセンジャーでやり取りを

していまして、亡くなる

1週間前も普通に、私に連絡が

来ていました。

 

 

体調が悪くて入院することに

なったけど、元気になったら

未来手帳のシェア会をまた

開催します、とのことでした。

ずっと手帳のシェア会を

してくださっていました。

 

 

そして、過去のFBを

さかのぼって読んでみましたら、

この世を去る3日前にも

誕生日を迎えて、お祝いの言葉に

一人ひとりにお返事を返されて

いました。

 

 

身近な人がこの世を去るたびに

死が身近なものになっていくような

感覚になります。

 

 

モモと母が亡くなったときに

はじめて、死が自然であることが

理解できたような気がします。

たとえ、悲しくても・・・です。

 

 

死を思えば、

生を見つめることになります。

死のことなど考えたくない、

と思ううちは、生についても

本気で考えられないかもしれません。

 

 

「どう生きるか?」は

この世を去るときに、

「どう思っていたいか?」

に通じるからです。

 

 

震災や身近な人の死を経験

する度に思うのは、

次は自分の番かもね。と。

ならばそのときは、

 

 

「やりきった!

楽しかった我が人生!」

 

 

・・・と、この世に未練なく、

やるだけやったな・・・

という満足感と充実感を抱いて

微笑んで逝きたいな、と思うのです。

 

 

そのためには「どう生きるか?」

ということです。

 

 

それは、先日亡くなった

彼女の数ヶ月前のFBの投稿に

書かれていました。その言葉は・・・

 

 

「何ごとも「やりたい!」と思った

その時が全てのタイミングだと思う♡

あなたもわたしも、人生は一度きり^ ^

皆さん、やりたいことはできていますか?」

 

 

彼女の質問にあなたはなんと

答えられますか?

 

 

そして私からも質問。

この世を去るときに、何と言いたいですか?

それが今の生き方にどう関係するでしょうか?

 

 

本日の記事はここまでです。

ではまた明日。