幸せは、不幸せな経験が

あるからこそ感じるもの。

 

 

不幸せが何かを知らない人は、

幸せが何かもわからないのです。

比較材料となるものがあるから

理解できるもの。

 

 

おいしいものが

「おいしい」と感じるのも、

過去にまずいもの食べた経験から

来ています。

 

 

もし、生まれたときから、

おいしいものしか食べたことがない人は、

お店でおいしいものを食べても

「うわ~!何これ!すっごいおいしいっ!」

と感動しません。

 

 

おいしいものがおいしいのは当たり前。

それしか経験がないのだから。

 

 

一見良くないとされるその経験は、

生きる喜びを知る上では

大切なことになります。

 

 

また、ストレスフルな

毎日を送っていた人が、

そのストレスの原因となっている

会社を転職した途端、

ストレスから解放されて、

生きる喜びを味わえるのも、

そのストレスフルな

仕事があったからこそ。

 

 

そう考えてみると、

悪い経験は悪くなくて、

将来の良い事柄をもっともっと

感じるため味わい知るための、

薬味になる、というものです。

 

 

「表裏一体」とはよく言ったもので、

暗い部分もよくない部分も、

総合的に見れば、もしくは、

長いスパンで見れば、

「善悪」「正しい間違い」の

判断はしなくてもいい、

ということになるのです。

 

 

私たちが幸せを感じるのに

絶対必要な事柄は、不幸せな経験。

あとは、感謝の気持がプラスされれば、

日常の普通の事柄、

 

 

例えば・・・

 

 

 

今日もコーヒーがおいしい。

外は雪だけど、家の中は暖かい。

漬物がおいしく漬かった。

家族が健康。

今日も無事生きている。

 

 

 

 

こういうことにも無上の喜びを

感じることが出来るようになるもの。

 

 

では、無上の喜びって何か?

「無上」に関して辞書にはこうありました。

 

 

 

この上もないこと。

最もすぐれていること。

また、そのさま。最上。

「―な(の)喜び」「―な(の)幸せ」

 

 

 

私の感覚なのですが、

ブワワワァ~!と溢れる感覚、

満たされた感覚で、恋をした時の、

キュ~ン、の柔らかいバージョン。

光の温かいベールに包まれるような、

そして、時折涙がジワワ・・・となったり、

天に向かって手を合わせたくなるような感覚。

 

 

時折、無上の喜びを感じます。

それは、車の移動時にも、

家で昼寝する瞬間も、

街を歩いている時急に

その気持ちが高まったり、

「ありがたい…」と常に口から

もれるような感覚です。

 

 

 

過去のイヤだった出来事も、

人を憎いと思った感情も、

ストレスで痩せた経験も、

誰もが信じられなくて、

全部捨ててどこか遠くに

逃げたくなった感覚も、

全部今の幸せに役立っていると思うと、

一つ一つが宝物のような気持ちに

なるものです。

 

 

 

もちろん、今後も生活の中で、

薬味の部分(嫌な出来事や辛い事、不幸なこと)

はあるわけで、それは自分の無上の

幸せ感を高めるのにも役立っている、

というわけです。何事も経験。

 

 

 

しかし、当然、

そのつらさの渦中にある時は、

そんなことを考える余地もないほど

かもしれません。

 

 

もし、視点を

変えることができるとすれば、

今つらい状況にある人は、

次に来る幸せを存分に味わうための

経験だと思ってみるのも

乗り越えるコツのひとつに

なるかもしれません。

 

 

 

なので、時々悪いことが

起きた時に、こう思うのです。

平安な時は、当たり前のことでは

なかったんだな、と、普通の生活にさえ

感謝できるようになります。

 

 

そして、逆にその平安な時に、

こうして生きていられること、

ありがたいな、と。

 

 

針がどちらに振れても、

ありがたいな…と思いを

馳せることができるのです。

 

 

常日頃からそんな気持ちになれたら、

人生、いつでも幸せを

感じることができることでしょう。

 

 

ただ、現実的に言えば、

腹の立つこともあるし、

理不尽なこともこの世には

たくさんありますから、

怒るなとか、心乱すな、

とかいう意味ではありません。

 

 

人間ですから、ありとあらゆる

感情を味わい知り、それが

過ぎ去った時に、ちょっとだけ

自分の心を上記のようなことを

向けてもいいのではないかな、

と思うのです。

 

 

 

 

太陽と光と雲ひとつない

青空があって

それを眺めていられる限り、

どうして悲しくなれるというの?

 

アンネ・フランクの言葉。

 

彼女の背景を考えますと、

ナチスの迫害により亡命して、

隠れ家でアンネの日記を書きましたが、

たくさんの名言を残しました。

 

 

ということで、

幸せは、幸せじゃないことが

あるからこそ、幸せと感じる、

ということでした。

 

 

ではまた明日。