高級紀州梅と美味し過ぎる雑穀米
どんなにお金があっても
食べたいものと言ったら、
ご飯と味噌汁と漬物
案外、最高の贅沢な食事は
いつも食べられるものだったりする
最後にこの世を去るに
食べたいものは?と聞くと
母の手料理、とか、おむすび
と多くの人が言われるのも
理解できます。
いつかの朝食
どんなにお金があっても
行きたい場所は特になくて、
家が一番好き。
犬と猫と家で
ダラダラしているのが
一番の幸せ。
朝食
どんなにお金があっても
着たいものもハイブランドの服ではなく
デニムにTシャツだったりする。
どんなにお金があって、
バラの花束100本買って眺めていても、
アスファルトを突き抜けて咲いている
野花ほうが強く美しく感じる時がある。
どんなにお金があっても、
最高の娯楽は
親しい友や愛する人たち、
気のおける友人たちのと
コーヒー飲みながらの雑談
朝食
どんなにお金があっても命は買えず
少しの間生き長らえさせることは
できても、永遠の命なんて
買えやしないし
どんなにお金があっても
使わなければただの紙切れであり
ただの印字された数字に過ぎない
いつかのお昼ご飯
クラムチャウダーとおにぎりが合うことを初めて知った日
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あとがき
今日の写真アップするの辛かったです。
うまそう・・・こういう食事が
私にとっては最高の食事です。
ファスティング2日目の夜の
空腹最大級時・・・
これアップしたらもう寝ます。
「どんなにお金があっても」
と書いてはいますが、
書いている私は、「そんなに」
お金があるわけでは
ないですけどね・・・
お金を気にしないで
出張できたり、食べたいものを食べたり
欲しいものが買えたり、行きたいところに
行けたり・・・というレベルですが、
しかしそれでも、あの日夢見た
お金を手にしていても、
お金で何かできることを
そんなには望まない、ということが
50代突入してわかりました。
そして、特に母の死を経験してから
それはますます強く感じています。
年をとると、
お金はちょっと贅沢できたり、
誰かにプレゼントする余裕があるだけで
本当に心豊かになれるものだから。
幸福度だって、
そんなに変わらないものです。
月収100万円も月収1000万円も
生活レベルも幸福度も変わらない、
というのを何かの本で
読んだことがありますが、
しかし、意識の向けどころによっては、
普通の平均年収でも、幸福度は
変わらないものです。
マサイ族のようなところの人々の方が
幸福度が高いことから、
物質や金銭がさほど幸せには
関係ないことが分かることでしょう。
お金は人を安心させる
ツールともなれば、
不安にさせる原因ともなります。
失いたくない、損したくない…
そしてそれらを考えるだけで
不安でいっぱいになるなんて
もったいないな、と。
かといって、
誤解して欲しくないのは、
お金を求めていけない、
という意味ではないです。
求めて、それを経験してから
自分でお金に価値を付与するものでも
ありますから。