人は群れるとですね、
思考力が働かなくなります。
そのことについてブログ記事で
扱いたいと思います。
と言っても、
この群れる、というのは、
コミュニティーに入るのが悪いとか、
仲間を持つのがよくないとか、
会社組織がダメだ、とか言うことでは
ないですので、誤解がないように
付け加えておきますね。
8月号のカオラボの動画では、
マズローの欲求5段階説について
少しだけ説明をしました。
その中の三段階目に
「社会的欲求」つまりこれは
「帰属欲求」とも言うのですが、
家族や友人、会社組織などに
受け入れられたい、という欲求。
他の言い方としては、
何かの組織に属していたい、
という欲求のことです。
帰属することで安心感を得る、
という欲求のことです。
ごくごく自然な欲求です。
これも欠乏欲求の一つです。
5段階の内、唯一欠乏欲求でないのは、
一番上の自己実現欲求です。
これは段階を経て
自己実現というステージに
上がっていくので、どこにいると
いいとか悪いとかという
問題ではなくて、もし今、
コミュニティに入っているから安心、
ずっとここにいたい、とか、
依存的になったら、成長が止まります。
成長だけではなくて、
思考も停止気味になります。
なぜでしょうか?
なぜなら、基本的に
コミュニティは組織です。
いつも同じ人とばかりいる人は、
はっきり言いますが、成長しません。
きつくてごめんさーい。
説明します。なぜならば…
いつも同じ考え方の人たち
いつも同じ行動の人たち
いつも同じ言葉の人たち
・・・と一緒にいるわけですから、
必然的に似てきますし、
同じ、とまでは言い切れませんが、
同じように、なります。
それが自分の成長を促す関係性なら
まったく問題ないどころか
逆にいいものでもありますが、
刺激がないのです。
類友の法則がありますから、
最初から似たような人たちが
集まりますから、心地が良いわけです。
しかし、似たような…で始まり、
あとは思考も言葉も、
行動も似てくるのです。
そのあと思考力が低下します。
なぜでしょうか?
極論、人は考えるのが面倒です。
自分と向き合うのも嫌いです。
自分と向き合うというのは
嫌なものも出てきませんから。
しかし、群れていますとね、
強い意見の人に、おのずと
従いたくなるのです。
いちいち「あれは違うよな」と
思っても、みんなの前で、
「それは違う」と大抵の場合、
言えませんし、飲み込みます。
コミュニティーのメンバーとは
仲良しなので、きついことは
言わないものです。
群れの中にいますと、
自分の発言に関しては
なんとなくビグビグしてしまうものです。
私は群れていなくても、
ブログ記事をアップする時には、
ちょっとくらいは「大丈夫かな?」
「誤解されないかな?」
とかも思うくらいですから。
ましてや何かの組織に入れば
それはなおのこと考える
かもしれません。
否定がない場所、というのは
本当に心地がよく、ずっと
そこにいようと思うものです。
いい悪いはないのですが。
群れても、思考力が奪われない
ために必要なことは、
その群れのトップの人が
どんな発言でも否定を絶対しない、
というスタンスと「あなたはどう思うか?」
と、すべての人の意見を聞くスタンスが
あれば、思考力は奪われない
ことでしょう。
経営の神様と言われている
松下幸之助氏の逸話がありまして、
新人に対しても「君、どない思う?」
と聞いて、考える力を養っていたようです。
少年が自分なりの考えを述べると
「ぼん、よう考えたな、参考になったわ。
また色々聞かせてや」と言うそうです。
リーダーの模範ですね。
人は、強い意見の人に
従いたくなります。
なぜなら、言い切られるので、
そうなんだ…と思い、
考えなくてもいいの楽なのです。
「ワタナベさん、
これこれこういう場合、
どうしたらいいですか?」
と質問してくる人に、逆に私は
「どうしたらいいと思う?」と
答えを与えず、質問するので
そう返されたら、質問者は
答えがお手軽にもらえないので、
嫌なものなのです。
しかし、もしその群れの中でも
そういうスタンスで、自由を味わい、
交友を味わないながらも
自分の世界観を持ち、誰を
崇(あが)め奉(たてまつ)る
わけでもなく、どこの場にいても、
自分が主人公でいられるような
環境ならいいですね。
群れても思考だけは止めない。
何に関してもいい意味で
疑ってみる。鵜呑みにしない。
調べてみる。
人は、調べるのも面倒なので
そのまま信じてしまうように
なると、思考が奪われてしまいます。
用心が必要です。
ではまた明日!