自撮り画像。かわええーヌコ。
どこで撮ったかは、
明日のブログのお楽しみ。
皆さんも行ったらいいわ。
自分の無邪気な笑顔を見ると
救われた気分になることがあります。
こんな私にも辛い時、というのが
10数年に一回くらいの
割合でおきます。
特に30歳の時には、
もう本当に人生を終わってくれ
と思ったこともありました。
しかしその時、
「もしここさえ乗り越えられたら、
自分はこれ以上の辛いことはない、
これさえ乗り越えられたら、
もう強く生きられる」
と1日1日、数えるように
生き抜いていた時期がありました。
そしてそれからまた20年後くらいには、
モモの死、離婚、母の死、と
もっとつらい試練が続きましたが
過去の乗り越えたあの試練の
おかげで、少し耐久性ができたのか、
強くなりました。
苦しみの経験、というのは
人を強くし、そして、
人様の役にも立つのだな、
というのが感想です。
「人生無駄なものは何もない」
なんて言いますが、
本当にそうでして、
私はあの試練のおかげで、
いろんな辛いことが
軽々ではありませんが、
乗り越えられています。
あの頃知らなかった、
精神世界、宇宙の仕組み、
どうしたら幸せになれるのか?
どうしたら苦しみと
向き合えるのかがわかった今、
これから訪れるものは、
自分の捉え方次第と、
そして、物理量子学で言えば、
観察したものが存在するように
なるだけの話ですから、その辛さを、
「辛さ」として観測しなければいいだけ。
「学び」と「経験」。
それに苦しさを感じるのであれば、
ただただ淡々とそこに
向き合ってみるだけ。
・・・と簡単に
言ってしまっていますが、
昔のように、辛い気持ちのまま、
何年も過ごすことはもう、
2度とないのがわかります。
切り替え、思考のチェンジが
とんでもなく早くなりました。
忙しいから。そして考えるのが
無駄だから。
あの時は、辛さにばかり
フォーカスしていたので、
どんどんその辛さは募るばかり。
そしてその「辛いという世界」
に生きていたのです。
別の次元には「楽しい世界」
があるのに。
自分の笑っている写真をみて、
アホみたいですが、
自分の笑顔に、幸せを
もらったような気になりました。
ま、つらいこともたくさん
あったでしょうに、
それでもやっぱり、
笑っているんだね、
と思うわけです。
もちろん、他の人の笑顔でも
そういう気持ちになるのですが、
客観的、他者目線で自分を
見たときにそう感じる。
あんなに苦しくて泣いて
枕を幾晩も濡らすときがあったのに、
今、めいいっぱい笑っている自分を
愛おしいとさえ思えるのは、
私にとっては大きな進歩です。
だって、もう自分なんて
この世から消えてしまえ!
とさえ思っていた時期が
あったのですから。
「あゝ、なんて幸せそうな
顔している・・・」とか、
「あの時あんなに苦しくて
泣いてばかりだったのに、
今、こんなに幸せを
感じられている」という
自分の笑顔を見て、さらなる
幸せを感じたのでした。
物理量子学の世界では、
すべては幻想であり、
すべては実在しない、
とまで言われています。
もう、こういう話になりますと、
よくわからない世界に
行ってしまいますので、
簡単に言ってしまえば、
自分が世界を作っていて、
どの世界を観察するのか?
それだけ。
自分の幸せを観察するなら、
それが見える、
自分の不幸を観察するなら、
それが見える、
自分の望む未来を観察するなら、
そこにいる、
自分の不安を感じる未来を
観察するなら、そこにいる。
であるならば、
自分と関わる人々が
笑っている世界をこれからも
観察していこうと思いました。