思うように行かなくなりますと、

今まで、平凡で平安で、

普通のつまらないと

思っていた生活がそのものは、

素晴らしい自由を得ていたことに

気付くことがあります。

 

 

私は仙台に住んではいますが、

2011年震災の時、実家は

何度もテレビで放映される場所で、

亡くなった知り合いもいました。

 

 

次から次へと、

「○○さん、(亡くなって)

見つかったんだって」

というのを聞くたびに、

心は無感覚になったような

気がしました。

 

 

最後に会ったのは、

いつだったかな・・・と思うと、

今まで当たり前のように会い、

何気なく「じゃーねー、またねー」

が、その「また」がなくなるときも

ある可能性がある、というのを

本当の意味で理解しました。

 

 

「またね」は必ずあるわけでは

ないとうこと。

 

 

震災時のライフラインが止まった時、

蛇口をあければ水が出る。という

当たり前が、覆されました。

何度も何度も水が出ない蛇口を

無意識に開けました。

 

 

無意識ってすごいですよね。

何度も、水は出ない、

と知っているのに、

朝起きると身体が水道に向かって

蛇口を開けているんですもんね。

 

 

そして「あ、出なかったんだ。

今日も水を貰いに行かなきゃ」と

思い直し、寒い中何時間も

水をもらうために並ぶのでした。

 

 

ガスがなかったので、

お風呂やシャワーはもちろんのこと、

髪の毛が洗えず自分テストも兼ねて、

何日我慢できるかやってみました。

 

 

1週間?10日間だったかな?

(お風呂は1ヶ月だったかな…?)

忘れましたが、電気が通ってから

(ガスが通るのはずっとあとだったので)

電気ポットでお湯を沸かし、

久しぶりに髪を洗いました。

ポット一本分で一回のシャンプーを

済ませなければいけないので、

お湯も節約しながらです。

 

 

悲しくないのに、

しかしながら、気持ちよ過ぎて、

シャンプーのぬるすぎるお湯に

自分の涙が混じって、

耳の脇からポタポタと

落ちたのを今でも思い出します。

 

 

水道も、私が住む地域では

長い間、出ませんでした。

ガスも・・・

 

 

はじめて水道が出た時、

このときも、感動しまして、

まるで、ヘレン・ケラーが

水を初めて発音したときのように、

ウォーーーーーー!!と

叫びましたわ。

 

 

普段の当たり前だったことが

まったく当たり前ではなく、

苦労しないと手に入らない

経験というのは、

貴重な体験だったといえます。

 

 

今は、もしかしたら、

震災の時よりも、これから

大変になるかもしれませんね。

世界的なことなので。

 

 

震災のときは、日本中から、

世界各国から寄付が集まりました。

今は、世界中の問題ですから、

どこかの国がどこかを助ける、

というのが少し難しい状況にあり、

解雇者の人数も半端なく、

世界のどこかでは、

その日の食べるものに困る人々も

出てくるかもしれません。

 

 

・・・が、しかし、いつの時代も

その日の食べるものがなくて、

餓死している人々も毎日います。

 

 

世界人口の9分の1は飢えていて、

今でも5秒に1人の子供が

栄養失調で亡くなっている、

というのが現状です。

ソース

 

 

それがもう、

何十年も続いていて、

こんなに科学が進歩して、そして、

別の国では食べ物が余って

捨てている現状なのに、

人間の力では未だに、

そうした状況の改善が

できていない状態です。

 

 

命の危険を感じているのは、

このコロナのことだけではないことを

考えますと、見方が少し

変わるかもしれません。

 

 

もしですが、現実的に

日本にいる限り考え難いですが、

私が食べる物がなくなって

発展途上国の子どもたちのように

栄養失調で死を目前にするような

状況になったとしたら・・・

 

 

やれることをやる!

とういうのは、いつのときも

大前提ですが、やることやったら

あとは、運命を天に任せます。

 

 

そして、当たり前のように

今はまだできていることが

あるかもしれませんが、

それに目を留める。

 

 

後に、もっとひどい状況に

もしなったとしたら、

次にできることは、それでも

まだわずかに残っている

ありがたいことに、

目を向けるかもしれません。

 

 

そのわずかに残っている

ありがたいことも、手の中から

なくなったら、今度は、

それでも生きていることに

目を向けることでしょう。

 

 

しかし、もし、

メンタルが壊れていたら、

生きながらにして、うらみ、つらみ、

憤り、憎しみで、生き地獄のような

感覚になるかもしれません。

それだったら、生きているもの

つらいというもの。

 

 

なので、今のメンタルを

健全な状態にしておくのは

とても重要なことなのです。

 

 

 

 

 

5月号のカオラボは、

「自分の意識のコントロールの仕方」

についてのプログラムです。

今の時期、自分の意識を、

外的要素で振り回されない、

というのは、後々の生命に

とても大切なこと。

 

 

そして、このコロナの騒動は、

まだ序章ですから、これから

強いメンタル、ブレないメンタルが

必要ですから、自分でその意識を

構築していかねばなりません。

5月号はそんな内容です。

 

 

来週19日(日)、質疑応答LIVEを

YouTubeにて行います。

後にメールが届きますので、

そちらのURLから入ってくださいませ。

1週間ほど動画は残しておきますので、

参加できない方はあとで御覧ください。

 

 

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