毎日毎日、

ただ過ごすこともできれば、
いろんなことに感動し、

喜び、感謝し、もしくは、

つらい出来事などは、学びに転換し
成長に帰することもあれば、

つらいことをもっともっと

つらいこと記憶に置き換えて

行く人もいますから、

私たちの捉え方は様々です。


物質的に豊かで、贅沢ができて
何の問題もなく、幸せに

生きることができたら、
それがいいことだと

捉える人もいますが、

(できればそうありたい…)


しかし、実はそうではなくて、

多くの問題に直面し、向き合い、

乗りこえ、学ぶことで、成長して
価値ある人生にすることができる、

というのもよくわかります。

 

 

今の自分があるのは、

やはり、問題があったから

それを変えようとして、変えた結果

今の生活、今の仕事があるからです。


何も問題がなくて、

平々凡々のシナリオの映画は
つまらないのと同じように、

自分の人生の脚本の中でも、
感情が動かされるような、

出来事に直面すると言うことは、
ある意味、シナリオなのでしょう。


それが真実かどうかなんて関係なくて、
自分がそう思い込むことで、

自分の人生と向き合うことができれば
それもまた素晴らしいな、と思うのです。

 

生きて行く上で、
成長に帰するために課題となることを
神様はお許しになったとしたら、
大きく分けると3つほどあります。
人生の学びのツールみたいなものね。

それは・・・


①お金

②人間関係
③試練や逆境(中には健康問題)



どれも人を悩ます事柄です。
お金で不安を持ち、

使うことに罪悪感を感じ、
お金がないことで縛られた生活を

しているかのように感じたり、
貯金しても貯金しても

なかなか貯まらなかったり…


そして、人間関係で私たちは悩み、

頭にきたり、苛立ったりするのです。

思いも寄らぬ、試練に直面し、
自分の本質と向き合うことが 

あるかもしれません。


まー、次から次へと

問題は起こってくれっちゃって、
休む暇がないわい!と

文句の1つもいいたくなりますが、
こうした問題に直面していても、

常日頃お伝えしているように、


心穏やかになる、

勝手な意味付けをすることで
私たちは、冷静にそれらと向き合って、
それを背負いながらも、

幸せを感じたり、感動したり、
生きる喜びを味わうことができます。


そもそも、そういう問題があるから、
対極にある幸せを感じることが

できていますものね。


病気や怪我は

ありがたくないかもしれませんが、
それがあるお陰で健康の大切さや

自分の身体を大切にすることを

学ぶことができますし、

 

人との別れが突然あったことで、
ご縁を大切にすることや、

ひと時ひと時が当たり前のことではない、

感謝すべき時間であることを
自覚できたりします。


そう考えてみますと、

生きる喜びは対極にある
ありがたくない出来事が

あるからこそのこと。


なので、魂のレベルで考えた時に、

それらの三つの問題は人生にとっては

ウェルカムなわけなのです。


どう乗りこえるか?

どう意味付けるか?が
自分の人生そのものに、

問われているわけです。


ああ、つらい・・・と思ったとき、
「さあ、どうする自分?」
と声に出して言ってみる。


客観的な視点

自分を見ているあなたは、
ただ感情的になって苦しむよりも

はるかに、冷静に問題に

向き合うことが出来ることでしょう。

 

問題とか試練なんて、

ほんの一瞬で問題でもなければ
試練でもなくなることもできる、

絶対的なものではなく、
極めて相対的なものです。

 

 

問題と見るから問題になるわけで。
例えば、下記のような状況は

一瞬で問題だったことが
どうでもよいこと、という

位置づけになることがあります。


例えば、人間関係のことで

悩んでいたとします。
同僚からのねたみで、

嫌がらせのような言動を受けてつらい。
毎日毎日、そんな職場に行くのがもういや。
でも、こんないい条件の仕事はない・・・
ああ、でももういや・・・どうしよ・・・

 

と毎日毎日悩んでいたとします。
例えばあなたがそんなことで

悩んでいる時に、あなたの友人が

末期ガンになり、それでも前向きに

治療をしてガンと闘っている

ということを打ち明けられたとします。


もしかしたら、

友人は亡くなるかもしれない。
そんな状況で明るく前向きに

闘っていることを思うと、
自分の悩みなんてちっさい

ゴミみたいなものに思えてきます。


人は生死を思うと、
自分の悩みは一気に悩みでも
問題でもなくなるのです。

 

ここ、最近、私もちょいと

絡み合った問題に巻き込まれていましたが、
今、まさに絡み合った問題だと

思っていたことが、
もう、そんなことどうでもいいことだ…
と思えるよな状況に直面しています。


人は生死を目の前にする時に、
目の前にある問題なんて

大したことじゃない
どうでもいいことになるのです。

 

生かされている限り、
その術(すべ)を学ばせられて

いるような気がします。


『人生死ぬまで勉強』

だなんて言い方をしますが、
道端に転がっている、石からでも

学ぶことは出来るし、逆に、

どんなにお金をかけた教育でも、
アドバイスでも、何かの事象でも、

学ばない人は学ばない


謙虚に学べる姿勢を持つ人で

ありたいと日々思うのでした。

 

 

頑固な私ですが、

心は柔軟にしておきたいと

常日頃思っています。

どうでも良くなるわ…と

思えるときに、なんだか力が抜けて

楽になれるような気がするのです。

 

 

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カオラボのメンバー様へ

 

18日に行われる質疑応答の

ご質問は締め切らせていただきました。

30以上になってしまい、1時間で

扱えるかどうかわかりませんが、

その中から重要なものを選び

回答していきたいと思います。

 

10月30日に送りました、

カオラボの配信メールの中に、

YouTubeアドレスが載っています。

18日(月)21時になりましたら、

そのURLをポチッと押して

LIVEにご参加くださいませ。

 

コメントができるように

なっていますので、

反応もお願いします。

 

また、LIVEにご参加できない方も、

1ヶ月間は、その質疑応答が

見れるようにしておいてますので、

ご都合の良いときにご覧くださいませ。

よろしくお願いいたします。

 

※尚、LIVEはお約束するものではなく、

ネット環境により、配信できないことも

ございますので、そのときは

どうかご了承くださいませ。