お盆最後の日ですね。

今日は、やっと実家に行ってきます。

お墓参り、家族揃って母のもとに…

と言いましても、私は毎日母に

手を合わせていますので、

母に会いに行く、という感覚は

ゼロなんですけどね。

 

 

しかし、お墓参りに行く、

という姿勢もまた大切なのかも

しれませんね。

 

 

さて、本日の記事は

ウソを付くことについて。

 

 

タイトルに関しては

当たり前のことかもしれませんが、

それらは蔓延し過ぎていると

言えるかもしれません。

 

 

ネタとしての作り話や炎上商法、

それらも私の観点からしては

ウソに入ります。わざとウソをついて

人々を煽って認知を図る、というのも、

なんだかな・・・と思うのです。

 

 

望んでいたわけではないのに、

炎上した、というなら

わかりますが。

 

 

 

ウソをつかないほうがいい、

というのは、当たり前と言ったら

当たり前なのかもしれませんが、

弱さでついてしまうものとは違って、

承認欲求によるウソや、誇大報告、

さらにはSNS上やビジネスで、

そして誰かを攻撃するのに、

リアル社会で、またはSNS上でも

ウソは蔓延しています。

 

 

ビジネス上では、誇大広告過ぎると

景表法に引っかる可能性もありで

気をつけないとです。

こちら参考

 

 

そして、信じられないかも

しれませんが、中には、

自分の言うウソを、妄想内なのに、

真実だと思っている人も居ます。

 

 

脳内妄想を現実だと捉えてしまう。

妄想なのか?現実なのかの

境がわからなくなってしまう病気。

ウソをついているうちに、それを

真実だと思いこんでしまい、

熱弁してしまうとかね。

 

 

そうなると、人は感情的な人に

心奪われる人も居て、

それに騙される人もいます。

 

 

さらに、ウソではなくて、

真実を言いながらもウソを伝える、

というケースもあります。

それは、一部の真実だけ伝えて、

まったく違ったストーリーに

なることもあり、結果それは

ウソを伝えていることもあります。

 

 

どういう意味かと言いますと、

ある言葉を切り取って伝えること。

 

 

例えば、同僚のAさんが

会社の備品を持ち帰ったとところを

見たとします。しかしそれは、

会社から頼まれて、その同じ備品を

会社の帰りに店で買ってくるため。

 

 

それを見た人は、

真実を知っているのに、その人を

悪者に仕立て上げるために、

「Aさん、会社の備品を持ち帰ったよ」

とだけ誰かに言って、そのあとの

情報を伝えなかったとしたら、

まるでAさんが会社の備品を

泥棒したかのような印象を

他の人に与えてしまうのです。

 

 

最初の部分の

真実を言っていたとしても、

一部だけの真実を伝えるだけで、

まったく違う情報にすり替えて

しまう、悪質なケース。

 

 

それが意図的な場合、

本当に恐ろしいことで、

他人の社会的地位を崩壊させ

犯罪になってしまう場合もあります。

 

 

また、別の例ですが、

SNSを使って集客などをする場合は、

ブランディングとか言って、

本当の自分を出さずに

作り上げられた自分を表現するように、

と指導する人も時々います。

 

 

ま、その程度ならかわいいものだと

私は思うのですが、そうではなく、

わかっていながら、数を盛って伝えたり、

集客に関して、人気である風を装うために、

集客人数に虚偽の報告を

したりなども現代ではよくみられます。

 

 

顧客はその数字を信じ込み、

「この人は人気がある人だ」と

思わせる、誘導手段として

数を盛る、という手法を取るのです。

 

 

集客に関しても、自分が人気がある

と思ってもらうための

ブランディングとして数を盛る、

それは非常に危険なことです。

 

 

バレたときに、”不誠実”な人に

なってしまうからです。

 

 

セミナー出席の人数、

集客した人数、

ブログアクセス数、

これまでのクライアントの人数、

年商や年収・・・

 

 

 

実際よりも数字を大きく見せることや、

それは、実物よりも自分を

大きく見せることなども

ウソになってしまうことがあるので、

要注意です。

 

 

ハリボテは、すぐに暴かれたり、

今は持ちこたえても数年後には、

崩れ落ちるものです。

ビジネスは特にです。

堅実、誠実、正直に

やらないと、本当に危険。

 

 

人数を盛っても、

人気があるふりしても

アクセス数があるふりしても、

どこかで必ずバレます。

 

 

なぜバレるかといいますと、

その器があるかどうかを

見抜ける人もいる、ということと、

ホンモノが世の中にいる限り、

その人々がそれを見抜きます。

 

 

また別の例としては、

誰か特定の人の評価を落とそうとして

ウソ偽りを書いたとしても

それすらバレますし、

書いている人の評価が下がります。

 

 

なので、何かにつけて、

ウソは良くない、ということ。

 

 

ある程度のインフルエンサーが

それをしてしまったときには、

エネルギーが他人より大きい分

どこかで歪みが起き、いつか

そのウソが表面化したときには、

大きなことになりかねません。

 

 

お金がないのに、

お金持ちのフリしているうちに

本当のお金持ちになるかもしれない、と

思っている人もいますが、

ただ苦しくなるだけです。

その苦しさが、より叶ってしまう。

 

 

SNSだけではないです。

現実社会でも、嘘を付く人は

バレます。いつか必ず・・・・

 

 

一つのウソを付けば、

それがバレないために、

別のウソを付き、そしてまた

そのウソをばれないように

また別のウソを付き、

どんどんそれが広がっていき、

苦しくなっていくのです。

 

 

もしバレなくても、違う形で

そのウソという歪んだエネルギーを

いつか身に受けることになります。

 

 

自分が悪いのに、保身のために

ウソをついて他の人を悪者したりする

ケースもよくありますが、

その時のエネルギーの戻りは

何倍か返しです。

 

 

悪者にされた人の

思念が加わったりするので。

 

 

いつ何時、真っ裸にされるか

わからない時代であり、

隠していた本質が、顕(あらわ)になる

時代に入ったからです。

 

 

弱さゆえに、

ついウソをついてしまうのと、

腹黒く我欲でウソをつくのとでは

天と地ほども違います。

 

 

・・・ということで

ウソについての話でした。

 

 

私は、ウソはつきますよ。

上記のようなウソはつきませんが、

優しいウソはつきます。

 

 

母の余命がわかったときも、

ずっとウソを付いていました。

母は私の言うことは信じていたので、

亡くなる2日まで、

「治ってきてる?そっかそっか、

だめだめだ!死んでいられない!」と

気持ちを持ち直していたのを

思い出します。切ないですが。

 

 

長いお盆休みも後半ですね。

それではまた明日。

 

 

 

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