よく相手は鏡と言います。

心理学で言えば、「投影」のことです。

投影とは、簡単に言えば、

自分の内なる部分が、ある対象に

映し出される、という意味。

 

 

その対象は、

人であったり、事象であったり、

自分以外の何でも、です。

 

 

ある人は「相手は鏡である」や

「投影」を誤解してこう言います。

 

 

相手の言動に不快に思ったら

自分にも同じ部分があるから、

そう思うのだ、と。

 

 

同じ傾向があるから、というよりも、

そのようなケースもありますが、

違うケースもあります、という

言い方のほうが正確です。

 

 

つまり相手を通して自分の

内なる部分で気付くことは

様々である、ということ。

一つに限ったことではありません。

 

 

例えば以前こんなことがありました。

私がある人にしつこくされて

すごく嫌だった、とブログに

書いたことがあります。

 

 

ある方のコメントでは、

「それは投影で、自分原因なので、

ワタナベさんがしつこい部分を

もっているからから、

そう感じるのですよね」と

書かれていました。

 

 

私は、人間関係で言えば、

あっさり塩ラーメン以上に、

あっさりしていますし、

スッキリ爽やかコカコーラ以上に

スッキリしていまして、むしろ

逆に大大嫌いなのは、粘着体質です。

 

 

もう、粘着体質の人間は、

強力粘着テープよりも粘着力が強く、

さらにいえば、納豆のような

ネバネバで、ほんと勘弁してくれ、

という感じです。笑

 

 

つまり、相手のしつこさに投影された

ことがあるとしたら、私の場合は、

「人間関係に関してはしつこくしては

いけない、と思ってる」という価値観が

わかったわけで、そのことを、

相手を通して知ることができたわけです。

 

 

 

投影の本当の意味は、

その対象の事象を通して、

自分の中で何かが映し出される、

という意味であって、

 

 

相手がしていることが

自分の中にある、と決めつけて

しまうのはとても危険です。

 

 

対象の何かにより、自分の内側に

何かが映し出されますが、

必ずしも、相手がしている行為が

自分と同じではない、ということを

覚えておくとよいでしょう。

 

 

そういうこともありますが。

 

 

相手や事象を通して

自分の内なるところにイラ立ちが

起きた時に、イラ立ちが投影、

というよりも、そのイラ立ちの

背後にあるものが何か?というのが

本当の投影です。

 

 

例えば、以前は私は父が大嫌いで

父の言動を見るたびに

イライラしていましたし、

以前勤めていた、威圧的な

社長の態度を見た時に、

怒りさえ覚える感覚がある、

という経験があります。

 

 

なぜそう感じるのか?

何が投影されているのか?

と考えた時に、もちろん単純に考えたら、

自分の中に同じ部分があるから、と

納得して終わり、になるところですが、

それでは意味がありません。

 

 

そこから、父の決めつけた言い方に

苛立つのは、人に対して寛容でなければ

ならない、人との価値観の違いを

大切にしている価値観を

自分は持っているのだ、

ということにも気づきますし、

 

 

または、社長の威圧的というのは

不快感を起こす要因ですが、

それは以前、威圧的な父の言葉で、

子供の頃に、いつも震えていた、という

その傷がうずく感じがするからです。

 

 

などのように、

相手がしていることに反応したら、

すべてそれは自分も持っている、

と安易に解釈するのは違う、

ということです。

 

 

ほんとうの意味は、その事象に

何かが映しだされる、という意味で、

その映し出されるものは、

意味が重要であったり、そんなに

重要でなかったり・・・

 

 

しかし、世の中全ては解釈と認知で

自分の世界が作られているので、

投影がない、ということはなく、

何かしら感じている、思っている、

素通りしていていも、そこには、

対して反応していない、というだけの話。

 

 

何でもかんでも、反応するから

自分にそれがある、というわけでは

ないことを覚えておくと良いです。

 

 

そして、カウンセラーやコーチ、

何かのメンタリストが、

相手の何か投影しているものが

わかった時に、

 

 

「あなたがそう感じるのは、

あなたのの中に◯◯があるからです」

と決めつけた言い方をしたり、

自分の答えを押し付けたりしないように

注意しなければなりません。

 

 

答えは自分で見つけるものであり、

自分で気付くものだからです。

そうじゃないと意味がないからです。

 

 

与えられた答えは

自分で見出したことよりも

遥かに重みがあり、価値があります。

たとえその場で納得しても、

納得してスッキリしたとしてもです。

 

 

スッキリさせることが目的では

ないからです。

 

 

セッションで、泣いて

もらうことが目的でもありません。

むしろ泣かせないセッションです。

理性的に、かつ潜在意識に

アプローチをかける。

 

 

中には、

セッション中はモヤモヤで終わることが

あったとしても、そのモヤモヤは

自分でそこから抜けるための答えを

探そうとすることなので、

上級レベルのコーチになりますと、

モヤモヤさせるための質問で

終わることもあります。

 

 

次のセッションまでの間に、

その人自身が答えを見つけるからです。

 

 

その場限りのすっきり感は

一時的なものでして、永続的な

益をもたらすとは限りません。

 

 

もし、なにか投影していることを

見つけたとしても言い方としては、

「あなたの場合は、私には

何かはわかりませんが、このケースの場合、

〇〇のケースもありますし、

✕✕のケースもありますし、はたまた

全く違った何かかもしれません。

今の段階であなたの場合は、何だと

思いますか?」でいいのです。

 

 

〇〇なのか?✕✕なのか?

違ったケースかな?とその人が

考えるからです。

 

 

あとは、クライアントが

答えを見つけるでしょう。

決してやってはいけないのは、

「あなたはこうです!」という

自分の経験とフィルターを掛けたまま

答えを決めつけて与えないことです。

 

 

ということで、

相手を見て湧き上がる感情から

そこに何を投影しているのかを

覗いてみるのは、ちょっと興味深い

経験になるかもです。

 

 

今日はイブイブですね。

何して過ごしますか?

素敵な日曜日を!

 

 

 

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