今日(日が明けたので昨日)、

実家へ墓参りしてきました。

母が11月に亡くなって、初盆です。

※母の死Pert1

※母の死Pert2

 

 

 

実家に帰ったら、

大変驚きました。

 

 

生前母が大切に育てていた巨峰が

たわわにハウス二つ分、成長していたのです。

趣味のハウス栽培の割には、

ハウス二つ分と広がっていたので

驚きました。生命力強いわ。

 

 

ハウス栽培で、巨峰は夏から冬近くまで

ずっと実をつけているので、

昨年11月の時点で、母は亡くなる直前まで

「巨峰、そろそろ終わるから

早くとって食べなさいよ」と

言い続けていました。

 

 

頭の中から巨峰が

相当気になっていたのでしょう。

 

 

8月以降は、実家に帰るたびに

巨峰をもたせてくれたのを思い出し、

巨峰を見ると、胸がつまります。

 

 

リウマチで足腰が痛いのに、

私がくると、スーパーの袋いっぱいに

巨峰を摘むのです。

その巨峰を採る姿もまたちらほら

思い出し、胸が痛くなるのです。

 

 

今、母は居ないのに、

母が作った巨峰がたわわになり

それを食べているのが

不思議でなりません。

 

 

自然の力だけでつるを伸ばし、実をつけ

農薬も肥料も一切使わず、

剪定もしていないので、

見てくれは悪いのですが、

安心して食べられる巨峰。

 

 

 

 

さて、一番恐れていた母の死を経験して、

とても不思議な感覚に何度もなりました。

「もう、母はここに居ないのだ」

という感覚と、それとは反して

「とても身近に居る」という感覚。

 

 

それは「心に居る」という感覚とも違い、

文字通りは居ないけど、そばに居る感覚。

もう、成仏して天に行っているのかも

しれませんが、それでもなんだか

身近に居るという不思議な感覚です。

 

 

確実に母の存在はあったのに、

そのうちきっと少しずつ、

記憶が薄れていくのでしょうね。

 

 

そんな日はまだ来ませんが、

それを想像するだけで

ものすごく寂しくなるのでした。

 

 

母の死が誰よりも辛いのは父でしょう。

今まで家の中に居た人が居なくなるとは、

母の存在の影ばかり追ってみる、

そして、母にしたひどいことや

母の晩年の病気と戦っているところを

思い出し、先日はこんなことを言っていました。

 

 

「俺のところに嫁に来て、

 かわいそうだったな…サチコ…」
 

 

父が涙目でその言葉をいった時に、

この人は死ぬまでそうやって

苦しむんだろうな、と思ったら、

やるせない気持ちにもなったりしてね。

 

 

母の死により、死は、

生命形態が変わるだけであることは

よくわかりました。

 

 

母がいるような気がすることや、

母が何かメッセージをくれているとか

(もちろん、気のせいかもですが)

母の匂いやふとする線香の匂い、

などなど、母の存在は、

母が生きている頃よりも

ずっと大きくなっていきました。

 

 

愛する人を亡くした経験が有る人なら

それは理解できるかもしれません。

そして、死があまりにもあっけなく、

身近なものであり、私達も同じくいつか

この地球からいなくなるのだ、というのを、

先にあちらに逝った人を通して、

見せてもらうのです。

 

 

生きている時にやれることをする。

そうしないと、私の父のように、

亡くなってから後悔ばかりで

つらくなるのです。

 

 

父の場合は、懺悔の気持ちがあってなのか、

供養にもかなり力が入っていまして、

仏壇のお盆セットを買ったり、

提灯出したり、灯籠出したり、

さらには、こちらの風習で竹で仏壇の前に

飾る、竹祭壇みたいなものも、

生まれて初めて作った、と言っていました。

 

 

 

これまでそれは母の役目でしたが、

母の初盆は父が心をこめて供養し、

先祖を迎えたのです。

 

 

家族で墓参りしましたが、

父と兄のお墓の掃除などの

手際の良さを見ていると、

まめにお墓参りをしていたのでしょう。

 

 

 

 

お墓で幼稚園からの同級生と会い、

再会を果たしましたが、

これまた母が引き合わせてくれた

プレゼントのような気がしてなりません。

 

 

 

一番の供養は故人を思い出し、

懐かしい気持ちになることのような

気がして、また母の写真を引っ張り出して

みんなで見ていました。

 

 

私よりもずっと若い、

セーラー服姿の高校生の母。

約65年前の写真です。

 

 

私に娘が居たら、

大体それくらいの年齢ですから、

高校生時代の母を、自分の娘を見るような

目で写真を見ながら、母を愛でるのでした。

若くて、ピチピチしていてかわいいな、と。

 

 

私の知らない世界、

青春あったかな、とか

好きな人はいたかな?とか

色々とこの写真で想像してしまいます。

 

 

母は亡くなる前まで、

この写真と同じ笑顔でした。

最後までユーモアがあり、

笑っていました。

 

 

私が最後に会った時、水を飲みたい、

と言って、ほんの30ccでしたが、

何回にも分けて飲んで、

「おいしい、おいしい…」と言ってる

あの顔を思い出します。

 

 

母が亡くなって、もう9ヶ月がたちます。

少しずつ少しずつ、受け入れる。

 

 

仕事をしていく上で、

いつも頭にあるのは母の言葉。

「思い上がんなよ?」

 

 

厳しくも温かい、

そして身の引き締まる言葉です。

母に教えてもらったことは、

生前は覚えていないのに、不思議と

今になってからポロポロと思い出すのです。

 

 

※思い上がんなよ?の記事です。

 

 

今日も、皆様のおかげで生活できました、

と手を合わせる気持ちで、

一日を閉じます。

 

 

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