私は母親になることはありませんでしたが、

妊娠経験が、一度だけあります。

 

 

ほんの10週程度のことでしたが、

やはり、満たされ幸せなときでした・・・

 

 

・・・とキレイにまとめたいところですが、

それどころか、もう、つわりで気持ち悪くって、

私は、吐き気が何よりも苦手で

苦しかった記憶のほうが多かったかも。笑

 

 

それでも、子供に会うときを夢見て、

必死に楽しいイメージングをして

過ごしていた数週間でした。

 

 

しかし、残念なことに流産しました。

別に、珍しいことではないですけどね。

とても悲しくて残念な気持ちで

落ち込みそうになりました・・・が

なんとか悲しみに飲み込まれることなく、

それをきっかけにブログも始め、

内観する習慣もでき、今の私、

ワタナベ薫が出来上がった、

と言っても過言ではありません。

 

 

たしか、流産した翌週にこんなことがありました。

私が、流産したことを知っているある友人が、

共通の友だちが出産したので、

赤ちゃん見に行こうよ、と言われて、

一緒に行ったことありました。

 

 

その病院は、私が通っていた病院で、

その前の週に、私はそこで流産の手術をしたのです。

友達は独身で、もちろん悪気がないけど、

今思えば、デリカシーないわー!ありえないわー!

文句の一つも面と向かって言えばよかった。笑

今なら言える!

 

 

私は心を無感覚にして、

赤ちゃんを見に行こうと思ったんですが、

「ごめん、やっぱり車の中で待ってるわ。

ゆっくり行ってきて。」

と友達だけ行かせました。

記憶が定かではないですが、

たぶん、車の中で泣いてたような

記憶があります。オトメだわ・・・

 

 

人は一旦手にしたものがなくなりますと、

欠乏感に満たされ、さらにそれを理由もなく欲します。

といっても、再び体質改善して、苦い漢方を

煮出して飲んで、またそれをやるのか・・・

とか思ったら、もうやりたくなくてね。

 

 

しかし、そのあたりから、

内観することが習慣になっていたので、

なぜ子供が欲しいのかを考えました。

 

 

答えは、たったひとつ。

母親に見せたかったから・・・

 

 

私には、もともと、

世間の常識とか固定観念はありませんでした。

結婚したら、子供を生むものだとも

思っていませんでしたが、

母は、私の子供、孫の顔を見たかろうと

心底願っていたのを知っていました。

 

 

しかし、母はやさしい人なので、

一度も、孫がどうだのと私に言うことは

ありませんでした。

 

 

だからこそ、母の喜ぶ顔が見たかった、

ただそれだけ、あとちょっとの理由は、

元夫と自分の子供がどんなかちょっと

見てみたかったのです。

 

 

だから、少しはわかるのです。

子供が欲しくてもできない人の気持ちが。

もちろん、100%はわかりやしません。

背景も性格も考え方も違うので。

 

 

ですから、流産した後は、

ブロークンハートでしたし、

友達の友達のそのまた友達の

あかちゃんが生まれた、というのを聞くと、

胸がチクリとしたことがありました。

 

 

街ですれ違う妊婦さんを見ると、

チクっと胸が痛む感覚。

 

 

きっと、もっともっともっと

心から欲しい人は、チクッどころか

きっと、トイレに駆け込んで

涙しているんだろうな、とか、

 

 

妊娠検査薬で毎月、

陰性のお知らせを見るたびに、

泣いている人々もいるだろうな、と

想像します。

 

 

どうか赤ちゃんを望んでいる人々に

赤ちゃんがやってきますように・・・

と祈らずにいられません。

 

 

そして、何年も妊活を試みたけど、

もう時もたち、子供を持たない人生を

迎える決意をした人々へ。

 

 

とてもデリケートな話なので、

アドバイスもかける言葉も見つかりませんが、

それでも、思いを切り替えて、

子供がいない人生でも大いに

貴方の人生を謳歌する方法を模索して

そして、子供にかかるであろうお金を

ご主人との楽しみごとのために

大いに使って、大いに楽しい人生を

送られますように・・・

 

 

そして、人生は、

設定と解釈で成り立っています。

 

 

こういう人生を送るんだ!という設定と

そういう意味があったのか・・・という解釈で。

 

 

あなたがもし、

子供のいない人生を選んできたとしたら、

どんな意味があると思いますか?

もし・・・でいいのです。

意味がなくても、あえて意味を考えることは、

納得するのにとてもいい方法です。

 

 

今生で子供に恵まれなかった人は、

前世で嫌というほど子育てしてきたのかもよ。

今生は、子育てから放免されているのかもです。

もっと別のミッションを決めてきたのかもです。

それに気づき、それに従った生き方をすると

違った開花があるかもです。

 

 

子供がいない私が言うのも何ですが、

人生、子供がいても、子供がいなくても、

幸せには関係がありません。

 

 

子供がいれば、子供が居る幸せを・・・

子供がいなければ、子供がいないからこそできる

幸せもまたたくさんあるからです。

 

 

よくこんな言葉を言う人がいます。

女は子供を産んで一人前になる、と。

 

 

では、子供を持たない人は

一人前にならないのか?

 

 

それは違います。

それを言っている人を見ると、

むしろ一人前になってないだろうよ、

と思ったりしてね。

 

 

子供を持たなかった人は、

子供を持たなかった人生を送る、

そこから学ぶ、という

ある種の経験をしています。

それは、子供を持ったことのある人には

経験できない人生です。

 

 

逆に、子供を持った人は、

子供を持った、という人生を送り、

子供を育てる、というそこからの学びがあります。

 

 

なので、どちらも種類の違う人生を

それぞれ経験しているので、

どちらが人間として、または経験として

上とか、一人前とか半人前とかはありません。

 

 

子育ては、忍耐と、思い通りに行かない経験と

そして、自己犠牲と、しかしながら、愛情を学びます。

 

 

しかし、子供が思い通りに育たず、

苦しみと悩みを多く抱える分、

独身者よりも経験数が多いかもしれませんが、

子供がいない人生を送る人は、また

違った孤独感や、苦しみ、心無い言葉から

違う意味での経験も数多くしています。

 

 

なので、どっちもどっちで、

そしてどっちも幸せ、どっちもしんどさも

孤独も悲しみもあり、一長一短である、

ということです。

 

 

しかしね、自分のクライアントが

ママになっていて、その子どもたちを見ると、

もう、もう、私はおばあちゃんみたいに

なっています。でも、面倒見れても、

2時間までしか、もたないからね・・・って(笑)

 

 

時の流れを感じます。

あの時、若かった子たちがママになっている・・・

もう、強く強く抱きしめたいです。

親子共々。

 

 

もう、私のように、これから

絶対に妊娠することのない年齢に達した方は、

ある意味、あの欲しかった頃と比べて

苦しみも少なく開放感もあるかもしれません。

 

 

一緒に大暴れしていきましょうね!

そして、私が尊敬する人々は、

やはり自分が経験してこなかった

子育てをしているお母さんたち。

 

 

私の主観ではありますが、

一人のみならず、二人三人、

四人とか育っている方は、私の観点からは、

神レベル!というくらい尊敬しております。

 

私には想像が及ばないことを

されていると思うからなのと、

私には出来ないことだから・・・

 

 

中にはそれを、シングルマザーで

やっていらっしゃる人もいますが

超絶すごいです!!

 

 

ということで、今日の記事はここまでです。

また明日〜!

 

 

 

※もしかしたら、来週11日の

癒やしフェアで、リハの様子や

楽屋での様子をインスタLIVEするかもです。

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