セドナに行った時の写真。

赤い土に還りたい・・・

 

 

 

徳を積む、と聞くと、

ある人は、胡散臭いといい、

ある人にとっては、そういう生き方をしたい、

そして、ある人は興味がない、まったく

徳を積むことはなんのことかわからない、

という人がいます。

 

 

実のところ、私もよくわかりません。

ただ、ひとつ言えるのは、

誰か他人が見ていなくても

小さな善行を行う、ということ。

 

 

善行とは、文字のごとく善い行いです。

人の目がなくても行う。

かと言って、人の目が在るからとて、

その善行を躊躇すべきものでもありません。

恥ずかしい、と思う人もいるようで。

 

 

仏教の言葉に、お金がなくても

地位も名誉も何もなくても

誰でも簡単にできる徳を積む方法があって、

それを「無財の七施(むざいのしちせ)」

というそうです。7つあるそうです。

 

 

その幾つかをあげますと、

眼施(がんせ)と言って、

人々に優しい眼差しを送ることや、

和顔施(わげんせ)と言って、

穏やかな顔で人々に接することや、

愛語施(あいごせ)と言って、

慰めの言葉や人を勇気づけたり

感謝を述べたりすることだそうです。

 

 

あと4つほどありますが、

最初の3つでさえ、別に何もなくても

すぐにでもできる徳を積む行為になるわけです。

 

 

本当に本当に小さなことですが、

これは誰かの為にやるわけではなく、

天に宝を積む行為なわけですが、

しかし、やってみるとおわかりの通り、

自分のためになっていることを実感できます。

 

 

よく、公共のトイレ汚れていますね。

あんなに汚して使って、平気で人々は

トイレから出ていきます。

 

 

次に使う人のことなど考えないのでしょう。

手洗い場も、水浸し・・・

子供が水遊びしたの?というくらい

びちゃびちゃになっていても

気にならないのです。

 

 

そういう小さいことでも

次に使う人を思いやり、

ちょっとペーパーで拭き取ったり

掃除したりしてあげるのも

小さな善行で、それもまた徳を積むことになります。

 

 

自己満だと言われようが、

なにしようが、人の目を気にせず、

お天道さまを気にして生きればいいわけでして、

本当に大切なことは小さなことで

日々の生活でそれを現していきたいものです。

 

 

時代は、どんどん利己的なほうに向かっています。

愛も優しさも親切も、温かい思いやりや

利他的な気持ちも行為も軽んじられています。

 

 

今一度、昔の基本に戻る姿勢が

必要になってきているのかもしれません。

誰が見ていなくても、お天道さま、神様が

見ているから、良心的に生きる、ということ。

 

 

「そんな古臭いことを言って・・・」

なんて敬遠もされそうですが、

私の祖母がいつも教えていたことは、

 

 

「他人様に迷惑をかけないこと。

そして自分が生きていられるのは、

他人様のお陰なんだよ。だから

感謝の気持ちを忘れちゃいけないよ」

 

 

・・・といつも大正生まれの祖母の言葉が

頭のなかでリピートされます。

だから、価値観は大正生まれの人と同じくらい

古いのかもですが、それはたぶん

私は一生忘れない価値観となっていくことでしょう。

 

 

小さな徳積み。

積んでいる!という感覚ではなく、

積ませてもらっている・・・

というほどのことでもなく、

ただただ当たり前のようにやっていることが

結果として徳積みになっている、ということ。

 

 

さて、本日からまた東京出張です。

今回は初ホテル。ヨダレがでそうなホテルです。

ちょいとドキドキ・・・

ではまた明日。

 

 

 

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