今日のテーマは、別に恋愛に限ったことではありません。

恋人であっても、友達であっても、

そして、私のような著者やセミナー講師であっても、

なんらかの発信者であったとしても、

なぜあなたはその人に惹かれるか、わかりますか?





好きに理由なんてない





とよく言われますが、

それは深層心理を見ようとしないだけで

必ず人には、何らかの理由と動機付けがあって行動しています





もし、「好き」という感情が、

自分の本当の気持ちではなくて、

ただ周りに流されているだけ、みんながいい、

って言っているからという理由だったり、

思考停止にして真の動機を見ないふりをしての

行動やチョイスだったら、それは大きな痛手になることがあります。





いつも極論もついでに書きますが、

痛手で学ぶことがあるので、それはそれでいいのですが、

お金が損したり、家族が傷ついたり、自分の気持ちが

傷ついたりする前に、気づけたらそれはそれでいいかもです。





私、突然ですが、故・小林正観さんが大好きなのですが、

彼は、精神世界の人でもありますが、唯物論者でもあり、

現実的に生きていた人です。

よく言われる、地に足がついたスピリチュアル、みたいな。

彼は「損得勘定で生きている」と書いてあります。





私は仕事が関係しないことに関しては、

この「損得勘定」は全く気にしていません。

損してもいいし、得しなくてもいいのです。

ただその人を愛している、大切にしたい、

楽しい、という感情があるからこそ、付き合っています。





しかし、とりわけビジネスになるとそうはいきません。

損失を出したら、ビジネスは続きませんから。

たった1年やそこいらでは、真の成功とは言えません。

入ってきた収入を使うばかりでは、税金が払えなくなったり、

経営が成り立ちませんので、損得勘定しながら経営しています。

(損して得とれ、も損得勘定です)





ただ、もし、あなたの好きな相手とのコネクションが、

「自分の得」を意識してのことで、その部分を

見ないふりして、ついつい群がるところに

自分も身を置くことで安心しているのなら、

もっと思考を働かせましょう、ということ。

もっと自分の本心を見つめましょう、

ということをお勧めしたいな、と。





ちょっと前のアメブロのコメントとFBのコメントで

「人を見る目がない」との相談を書かれた方がいました。

一つだけアドバイスするとしたら、人を見る目ではなくて、

自分の内側を見てない、ということなのです。





自分の本心、自分の本当の気持ちがわかれば

おのずと、自分と違った人が近づいてきたりすると

心の中で警告音が発します。音は、





ざわざわ





・・・みたいな感じ。

音ではないですけどね。

違和感、という感覚を擬音にしてみました。





さて、あなたの好きな人、

男でも女でも憧れの人でも、

なぜあなたはその人が好きなの?





その人から、全ての物質やお金や名誉や地位、

そして取り巻きの人々をも取り除いて、

素っ裸にして、さらに魂だけにしてみて、

その人の発している言葉を目をつむって聞いてみて。

それでも本当にその人が好き?

全部なくなってでも好きなのはなぜ?






そして、その人の発している言葉たちと同じ言葉を、

別の誰かが言っていた時に、それでも

その言葉を発している本人のことが好きなの?





人の本質は、物質では計れないし、

そして、結局、発している言葉そのものは、

その人の心から出るものだから。





言葉は心を表しているのです





あなたの好きな人、というのは

ほぼあなたと同じ人です。





私の大好きな人たちやお付き合いのある人たちは、

私の大好きなものが好きだったりします。

逆に、私の大好きな人たちやお付き合いのある人たちは、

私の嫌いな人々をもほぼ嫌いです。

同じなんでしょうね。





じゃあ、もし、私の大好きな人なお付き合いがある人が、

私の大嫌いな人を支持していたり、

大嫌いな人の価値観を褒め称えていたとしたら、

どうでしょう?





離れようとしなくても、いずれ離れることになるでしょう。

だって、波動が違う者同士が一緒にいたり、

交わり合うことはないのですから。

類友というのは、ほぼ価値観が同じなのです。





夫婦で別れが来るのも同じです。

最初同じ波動だったものが、違ってくるだけ。

そこに良し悪しはなくて、違った者同士が、

我慢に我慢を重ねて、自分を押し殺し、離婚しないで、

生活を続けるのもその人の選択でしょうし、

類友の法則に従って、離れて新しい生活を始めるのも

その人の選択です。





嫌いとか、苦手とか、離れる、とかの

意思を表明するのって、勇気がいることだと思います。

特に日本人はね。しかし、それが言えるようになりますと、

あなたから人が離れます。それはおめでとうなのです。

あなたの本質と違う人々は離れていくから、

あなたの周りには、嫌な人がいなくなります。





よく私は、当ブログであっても著書であっても、

思考力を働かせ、自分の内側にある本当の答えを見つけて、

とずっと発信し続けています。それはカルトのような

宗教的な洗脳が嫌いだからです。





これもブログを始めた当初から伝えていますが、

集団になると、その上に立つ者の意思が優先されます。

それにそぐわない人は排除されます。

そして、集団になると、違う考えを持つ自分が

「あれ?間違っている?」という風な錯覚さえ起きるのです。





もちろん、群れるのも楽しいので、

愛する友たちと、わーいわーいの交友を楽しむのは

いいことなのですが、ことに、定期的な集まりな集団、

というのは危険が含んでいるのです。

マザーはそれがわかっていたので組織を作らなかったと思います。





私はコーチなので、答えを与えません。

ブログなどの不特定多数が見る場では自分なりの

価値観を表現していますが、個人的には言いません。





自分の中にある答えを探すヒントをお伝えしていますが、

集団が、いい!と思ったものはいい、という考えは

危険なので、なぜ自分はいい、と思っているのか?

なぜその人が好きなのか?ちょっと立ち止まって

考えてみるのもいいかもしれませんね。





最高の答えは、あなたの潜在意識からしか出てきません。

誰かの答えは誰かの答えでしかないのです。

もちろん、誰かの答えはあなたの答えではなくて、

あなたへのヒントでしかありません。このブログも然りです。

ではまった明日〜♬