『「許すことはできるが

忘れることは出来ない」

というのは、結局、

「許すことは出来ない」

というのと同じことだ』


ヘンリー・W・ビーチャー (アメリカの牧師・作家)





別に誰かを許せなくても、いい、と思います。

許さなきゃ・・・と思う気持ちは、

許せない自分をジャッジしていることになるので、

苦しみが伴い、自己否定は意識レベルを下げるので、

体に弱い反応が出るからです。

しかし、許せなくても、忘れられたらいいですね。

その忘れることこそが、許すことだから。





「許すとか許さないとか私にはない」

という記事を以前書いたことがあります。

相手が裏切ったかのようにこっちの判断で見えたとしても、

視点が変われば、相手はただ単に選択肢を変えただけ。

※ワタナベ薫はニュートラリッています





小説家、五木寛之氏はこう述べています。

『そもそも〈許す〉ことは本来、

 人間の仕事ではないのではないでしょうか。

〈許す〉というのは、どこか傲慢な感じがします』 


  ~作家・五木寛之氏~

五木さんの考えに100%賛成です。





そこに約束、というものがあったとしても、しょうがない。

人の意識も興味も関心も変わるもの。

変わっちゃったものはしょうがないわけでしてね。

だから裏切りに見えるような行為であっても

私はそれを裏切りとは呼ばないし、

許すも許さないもないわけで。





ありがたいことに人間は忘れる、という機能が付いています。

これがあるおかげで、前を向いて歩めます。

私も本当に忘れっぽくてね。

あんなに痛い思いをしたのに、忘れるもんだから、

同じことを何度もしてしまう。





バッチフラワーカードでも、いつも同じカードを

選んでしまいます。それはチェットナットバスト。

意味は、「経験から学ばず同じあやまちを繰り返す」(笑)

ま、自分にとっては後で苦しい思いをしてしまうのですが、

根に持ってそれを忘れないよりもいいかな、と思っています。





許すとは「あなたを許します」

と言えることではなくて、

そのことをもう思い出さないこと、

忘れること、もう、

その時の感情を忘れた時点で

すでに許していることにもなるのです。






許したけど、されたことを忘れない、という場合、

それは本当の許しではない、ということ。

なぜなら記憶というのは、脳内で引き出しがいっぱいあって、

その引き出しを開けて、思い巡らすということをしているから、

またしっかりそのことを思い出している。





記憶の引き出しが何かの拍子に空いてしまったとしても、

「ああ、そんなこともあったね」なんて具合に、

もし、本当に許してあげているなら、また引いてしまった

引き出しの中身をわざわざ全部出して、確認などしないのです。





許した時に、謝られた方はこういうかもしれません。

「気にしていないよ」と。

忘れるとは、気にしていないよ、ということだから。





いつまでもその記憶の引き出しを引っ張り出して、

その記憶をリピートしているということは、

気にしているとということ。

つまり許していないことなのです。

それは思い出すたびに、不快感になるわけで、

思い出すことは体に悪い周波数が走ります。

そこでメンタルがやられたり、体の不調を起こしたりします。





許しとは、忘れること。

相手に悪いことをしてしまった方は、

「気にしていないよ、もうそのことは忘れたよ」と

言われたら、本当に心が軽くなることでしょう。





人間にある、その忘れる、という機能は、

神様からのプレゼントかもしれませんね。

だからこそ、辛いことがあっても苦しいことがあっても、

また同じことにチャレンジできるのですから。





恋人や夫に浮気されたからって、許した後に、

それをいつまでも何度も何度も思い出す、

はたまたそれを相手に過去のことを持ち出していうとかは、

まだまだ人間として未熟なのでしょう。





私もそういう時はありましたし、

「未熟」なんて言葉で書きますと、

なんと上から目線な、と思われるかもしれませんが、

そう感じられる方は、「未熟=ダメ」という

ジャッジが入っているからでしょう。





熟した木の実になるには、

青くて堅い熟していない時が絶対に必要なので。

もし、自分がその未熟さのプロセスの最中にあるならば、

それを次なる経験に活かしていけばいいだけのこと。





私も、ある分野に関して、今でも超ちょう~未熟です。

青くて硬くて恥ずかしいくらいです。

自分の未熟さを否定はしません。

だって本当に未熟だから。そこを飛ばして

円熟するなんて無理な話だからです。





未熟を認めて、経験し、そこから教訓を引き出し、

そして、円熟に向かうしかないんですよね。

たとえ許せなくても、それもまたしょうがない。

無理する必要はありません。




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昨日で展示販売会、無事終了いたしました。

お越しいただいた皆様、ありがとうございました。

出会われた素敵なジュエリーたちに背中を押され、

きっとパワーみなぎり溢れると確信しております。

普段使いにされること、オススメです。

家から一歩も出ない時があっても、自分にために

つけてみてください。背が3センチ伸びて、

姿勢が良くなったような気がします。