先日、渡辺家の家紋のことを書きましたが、

どんな着物だったっけかな~、と思い、引っ張り出してみました。

無地に菊柄、そして、一つ紋の色留袖でした。

一つ紋だから正式の場所に来ていくような着物ではないですが、

私が、小学生くらいの時から、コツコツと

着物貯金をしてくれていたみたいで、私が高校の時から、

少しずつ着物をいくつか揃えてくれました。





別にお金がある家ではないのに、子を想う気持ちが

この着物には込められているんだな、と、

50目の前にして、胸が痛くなりました。

「着物を作ってくれてありがとう、お母さん」と

この着物を着て、お礼を母に言いたいと思いました。





今日の記事は、2年半前に書いた「母の財布」という

記事を加筆修正して送ります。





バタバタしていて、

今日が「母の日」であること、さっき思い出しました。

基本、私はイベントごとをあまりやらないものでして、

昨年は、母の日からちょっと遅れて実家に行って、

母にお小遣いを上げてきただけのお祝いでした。

毎年そんな感じです。





親に、家を建ててあげたい!という願いが私にはありました。

古い家なので、きっと両親もそれを望んでいると

思っていましたが、「興味がない」どころか、

引っ越しやら整理やらが面倒らしく、数年前に、

「いらない」って言われてしまいました。

親の心、子知らずの逆バージョンね(笑)





母は、物をもらっても喜ばないです。花も別に喜ばない。

クールなのです。だから母の日でも、現金が一番活用できるかな、と。

母や、美味しいものを食べるとか、物質にも全く興味なし。

お小遣いだと、そのお金で、孫にお小遣いを上げれる、

何かを買って、近所の友達にあげる、とか

そんなことが喜びのようです。





実家に帰ったときに、母の食料品の買い物を手伝ったりします。

ま、年寄り一人で醤油やら油やらと色々と買うには重すぎるし。

母は買い物カートを押した方が、歩きやすいと言う事で、

(もう、見た目はすっかり腰も曲がった老人)

母がこれとか、あれ、と言った物を私がカートに入れていくのです。





今から12年ほど前に、

大きな病気をしてから母は一気に老け込みました。

闘病生活後は、一切髪を染めるのをやめたので、髪も真っ白。

もうヨボヨボのおばあちゃんです。それを見るのが切ないですね。

勝手な見方です。本人、別にどうってことないと思っていますが。





で、スーパーで買い物を手伝っている時、

精算は、私が支払ったり、母がお金を出したりですが、

母がお金を出すときは、1万円札を私に渡し、

私がレジに行くのですが、私は、

「小銭も出したいから財布ごと頂戴」

と言って、精算しに行きます。





手渡された財布は鉛でも入ってんじゃないの?

ってなくらい、非常に重い。すごく重い。

びっくりするぐらい重い・・・





財布をあけてビックリ。この重さは小銭が原因。

小銭だけで何千円もあるのでは?というくらい

小銭が貯まっているのです。





私は、レジに並んでいる間に、小銭を手の上に

100円、50円、10円、5円、1円とそろえておき、

ほぼその小銭を使い切ります。





後ろに別のお客さんが並んでたので、

「時間がかかってごめんなさい」と謝ります。

「なんもなんも」と言いながら寛大に許してくれ、

そして店員にも「小銭ばっかでごめんなさい」と謝ります。

店員は「逆に小銭不足なので助かります」と言ってくれます。

田舎の人の優しさですね・・・

そんな小さな優しさに溢れた田舎に母が住んでいること、

ちょっと安心材料だったりします。





精算が終わり、私は母の元にいき、ちょっときつめに、

「なんで小銭を遣わないの!増えていくばかりで、

財布が重くなってしまうじゃん!」。

それに対し、母は・・・・・・





「小銭が取り出せなくなった」と

ポツリと言いました。






最初、私は「ん?何で?」と思いましたが、

そのあと、ハッとしました。





母は、十数年ほど前からリウマチになってしまい、

細かい手の動きが出来なくなり、布巾や雑巾を絞るとかの

動きもダメで、台ふきんなどはキュッって絞れていない。

実家の布巾はいつもちょっと水分多め。





母が小銭を遣わない理由は、そういうことなのでした。

スーパーなどでレジに並ぶと、よく老人が細かい小銭を出そうとして、

モタモタして後ろの人を待たせている様子を見た事があるかもしれません。

後ろに並んでいる人は、急いでいたりすると、

イライラするかもしれませんね。





母は、自分が小銭を出すことで、

後ろの人に迷惑をかけたくないし、

何しろ、スムースに小銭が取れないもどかしさがいやで、

すぐに札をそのまま遣い、細かいおつりが出たそれを

財布に入れっぱなしにしておくので、

小銭が財布に貯まりまくりなのです。





自分から見て、他人の意味不明な行動であっても、

必ずやそれなりの納得できる理由があるものなのです。





母のパンパンになった財布に対して、洞察力が働かず、

ちょっと強い口調で、責めてしまった事をそのときを反省し、

常に、年寄りの目線、体が思うように動かない老人の思い、

その時以降、より一層、そういうところに意識を

向けるようになりました。





2年半前に、この記事をブログにアップした時に、

コメント欄に横浜銀蠅の翔さんがコメントくださって

驚いたことがありました。我らの時代では青春の真っ只中の

アーティスト。彼のコメントには、母を想う優しさが

溢れていて、ジワワワワ・・・と温かい気持ちになりました。





「俺の母親も 高齢です 

 スーパー買い出しは週3ペースで行ってます (笑)

 だから野菜の値段や 肉の値段に詳しくなりました(笑)

 支払い時は俺がやってますよ 小銭は俺の持ち出し・・(笑)

 なので俺の小銭入れは いつも パンパンです

 一緒に居ないと わからない事多いですよね

 母親に限らず 高齢者の方たちは 
 
 色々な事気にして生活してますよね

 できるだけ 先読みして 手助けしたいと 俺も考えてます

 お互いに頑張りましょう」





週に3回も偉いな・・・





あと何回、親と食事ができるでしょうね。

あと何回、親と出かけられるでしょうね。

あと何回、親に会えるでしょうね・・・





海外で暮らしていて、日本に親御さんがいらっしゃる方は、

切なくなるかもしれませんが、近くに住んでいても、

私のように、心配とかあまりしないタイプは、

親、放置気味なので、もうちょっと気遣おうと、

思いを新たにした母の日でした。





私の母は、何をしてもあまり喜びませんが、

私が元気で幸せで、仕事をしていると、

静かに穏やかにふつふつと喜んでいるようなので、

これからも私自身が幸せでいようと思います。





ただ、心配だけはかけたくないな、と思うのです。

年寄りは体力がないので、メンタルが体に響くのでね。

子は親に心配をかけたくなくて、親は子を心配したい





私は母親の立場の皆さんをとても尊敬しています。

私は親になることはなかったので、子育てを想像すると

すごい!!と本当に思います。それをこなされてきた

母親の皆さんは、スーパーウーマンです!!本当に。





子育てが終ったお母さんも、そして、今、

母親として奮闘中の皆様も、どうぞ楽しく人生を歩まれて、

そして自分がまず幸せでいて欲しいと思います。





子供は、小さくても、私のような中年になっても、

お母さんが悩みがなく、自分の人生を生きて

元気で幸せで、キラキラしていることを、願っているので。

それでは素敵なMother’s Day をお過ごしくださいませ。