熊本の震災から約半月が経ちましたね。

ある人々にとっては、ここからがメンタルが大変だったりします。

そして、世間様はどんどんこの震災を忘れていきます。

でも、現地にいる人々は、気にしないでくださいませ。

忘れてどんどん普段の生活に周りが戻り、

日本の経済を回してもらわないことには、

復興が遅れるだけです。





震災の後は、本当に遠く住んでる人、

まったく知り合いがいない人でも、

自分が楽しむことに罪悪感を抱いく人々もとても多いのです。

楽しみのための購買意欲がガタオチになります。





現地に住んでいる人は、

ネイル、まつエクなどする気になれない人も多く、

東北の震災の時は多くのサロンが潰れました。

だからこそ、普通の生活を送れる人が送るのは大切なのです。





この記事を書く前にひとつ前提をお伝えしておきますと、

苦しさにもレベル1からレベル100まであって、

その苦しさの強度によって乗り越え方が違う、

ということと、人は皆同じ資質ではない、

ということを頭に入れてから読んでほしいです。





というのは、発信者である私は勝手なことを書くのです。

たったひとつのことに当てはまるわけでもなく、

それをヒントに応用してオーダーメイドに作り上げて、

自分の答えにして欲しいのです。





エライ人がね、苦しい時の乗り越え方はこうだ!

そうあるべきだ!と言うと、何も疑わず、

それを答えとすることでしょう。

それを思考停止、と言います。





思考停止にしてから、情報をインプットする心理手法は

世の中たくさんありまして、思考停止にさせてから

情報をインプットする、これは洗脳手法なので、

情報を取り入れるときには、識別力を働かせ、

潜在意識と顕在意識の両方しっかり使って欲しいと願います。





さて、記事に入ります。

震災のことのみならず、今、すべてのつらいことがある皆様へ。

つらいと、つらいね。・・・当たり前だけど。





自分のつらさにフォーカスすればするほど、

世界一自分がつらい人みたいに思えてきて、

感情を見つめれば見つめるほど、苦しさは倍増。

そりゃそうです。フォーカスしたものは増大する、

という法則通りです。





しかし、逆にそのつらさを感じ取ることもせず、

見ないふり、自分の心の中から発する声を聞かないふり、

つらい感情に蓋をしてしまうことも、

実はつらさは、あとで倍増します。





なぜなら、無視されたそのつらい感情は

居場所が与えられなかったので、

モヤモヤがイライラになり、それが募り、

次に似たようなことがあると、爆発。

人によっては折れる、心の病気、

心に欠陥をもたらしてしまうこともあります。





しかし、そのつらいという感情を

小出しにしておけば爆発は避けられます。

その小さなつらさを感じ取って、労って、心が軽くなる、

というプロセスを踏んであげることです。





東日本大震災のとき、

その未曾有の困難を乗り越えた人々は、

その時をがんばることで乗り越えた人もいますし

その時を悲しみと向き合って乗り越えた人もいます





ある人は自分の我が子を失い、生きる希望を失い、

もう死のうと思った時に、同じ状況、

いやそれ以上につらい状況でもがんばってる人を見て、

その人より自分の方がまだ軽いではないか!

私も乗り越えよう!と思った人もいるようです。





似たような環境にあるもの同士が、

慰めあい、励ましあい、そして

天国で待つ我が子に恥じないよう、がんばって生きよう!

と決意して乗り越えた人びともいます。もちろん、

我が子を失うことは世界で一番つらいことだから、

その悲しみと一生付き合いながら生きるのでしょうが、

それでも、歯を食いしばらなきゃならない時もあるのです。





悲しみと向き合って乗り越えた人もいます。

がんばってがんばって乗り越えた人もいます。

がんばらないで、もう落ちるだけ落ちて、

自分を癒し、ゆるやかに乗り越えた人もいます。

人と比べないで、自分の悲しみを感じきって

受け止めて乗り越えた人もいます。

人と比べて、あの人よりは自分の苦しみの方が

まだ軽いではないか!ここでヘコタレてどうする!

と自分に厳しくして乗り越えた人もいます。






人にはそれぞれ、

特有の資質や傾向というものがあます。

どの乗り越え方にも正解があり、ある人にとっては

一般的な乗り越え方が合わない人もいるのです。





私はつらかった時、いつも

「情けないな~」と思っていました。

もっともっとつらい人がいるだろうに、

こんなの困難のうちには、はいらんよな~。

命左右するような問題じゃないよね?と思った時に、

非常に軽くなったわけです。





また似たような試練に直面した時、

その過去の経験が活かされたり、または、

誰か似たような経験がある人にその辛かった状況を話してあげて、

人に知恵を分かち与えることができるかもしれません。





人それぞれ、乗り越え方が違う

ということなのです






しかしながら、どんな乗り越え方にしろ、

ひとつ共通するして踏まなければならない

ステップがあります。それは・・・





その時の感情を知り、

感情を見つめて、

認めてあげること。






このステップをしないで、がんばったり、

元気に振舞ったりしていますと、

あとでその抑圧された感情は暴れ出します。





ですから、まずは自分の感情を感じ切ること。

そのあとで、がんばるなり、がんばらず

ゆるやかに乗り越えるなり、比べないで我が道いったり、

人と比べて叱咤激励しながら、前に進んだり、

誰かに癒してもらったり力を借りたり・・・

自分にとって1番合う仕方で超えられますように。





震災の時、まわりの人々の声掛けというのは、色々ありますね。

「力をあわせがんばって乗り越えよう!」

に励みを得る人もいれば、その言葉を見て、

「今、もうがんばってるのに、これ以上どうがんばれと言うの?」

と心が折れる感覚になる人もいます。





しかし、まわりの人のどの励ましの言葉も、

本来は愛なので、その裏の感情をくみとりたいものです。

誰も、人を本気で傷つけようとか、陥れようとかなんて

思っていないし、そう思えたとしたら、

それは自分の心の中の表れだということ。





きつい言い方になるかもしれませんが、

すごく今後の人生でも大切なこと。

それは、他人はあなたを傷つけられません。

傷つくことを許可した自分が自分を傷つけるのです。




熊本の震災でしんどい思いをされていらっしゃる方、

まだまだたくさんいるのでしょうね。そして、

震災じゃなくても、今、もがいて苦しんでいる方も

いらっしゃることでしょう。何か1ミリでも

拾えるところがあるといいな、

との願いで書きしたためております。

ではまた明日。