「やわらかい心を忘れんと

いいお嫁さんになるんやで」


(NHK連続テレビ小説「あさが来た」あさのお母さんの言葉)





あさちゃんがお嫁に行く時に、

お母さんがあさちゃんに言った言葉です。

やわらかい心・・・なんだか、

この言葉だけで涙が出てきたのを思い出します。

しかも、京都弁って本当にいいですよね。

本当に言葉は発音の波動がいいというか、

言葉の美しさ、やわらかさが伝わってきます。





やわらかな心・・・





そして、この言葉を声に出して読んだだけで、

心がやわらかになるような感覚。

言葉の波動というのは本当に影響を及ぼしますね。





やわらかいって、実は強いんですよね。

ハガネのような強さは、何かあると、

ポキッ!といってしまうから。





こういうピリピリした時こそ、

やわらかな心、柔軟な思考、

それぞれの価値観を認める心の広さ、

自分の意見を押し付けないそんな心が

平和を生むのだと思います。





やわらかさって、愛であり

やわらかさって、人を癒す力もあり

やわらかさって、強さでもある






まるでマイケルのふわふわでブニョンブニョンの

お腹のように。マイケルのお腹を触っていますと、

そのやわらかさに同調してこっちの心まで

やわらかになっていくのです。





同調、共鳴は、スピリチュアルな世界だけのことではありません。

常々申し上げているように、物理量子学の世界でも、

誰かの思念や感情は影響しあっているのです。





私の人生の半分は、この「やわらかな心」というものが足りず、

男みたいなハガネの心で生きてきたのかもしれません。

というか、今でも根底は残念ながらそうなのですが、

しかし、慈愛というものやわらかな心を

ついつい忘れさせてしまいそうになるのは、視野が狭さ。

自分視点のみならず、あちこちからの視点がありますと、

自分の正しさを主張しなくても良くなるのです。





やわらかさと相反するエネルギーは、

「攻撃」「強情さ」「傲慢、高慢」「ずるさ」

「怒り」「憎しみ」「利己的」・・・

などなど。





もちろん、これらが悪いわけでもなくて、

ただ、その淀みのような場所に居続けて、

その奥にあるものを見ようとしないと

いつまでたっても、そのやわらかで柔軟な心には

到達しないものです。それは苦しさをもたらします。





それらの攻撃も怒りも傲慢さも、

悪いものではなくて(あるんだったらしょうがない)

その奥底を見つめた時に、結局はそこに行くためのプロセスであり、

それらは通らなければならない道でもあるわけです。





ですから、もしその過程にいる人がいたら、

もしくは、自分の中にあるそうした部分に対して、

京都弁で「かぁいらし~なぁ~」とでも言ってみてください。

なんだか、やわらかな心で包めているような気にさえなります。





そうした感情は、取り除くのではなくて、

その部分を持っているのも自分ですから、

体内に融合してみましょう。やわらかな心で。





最後にあさちゃんの言葉を一つ。





「どんな所で寝ても

 朝は来ます」






これは人生にも当てはめられますね。

今、しんどい状況で暮らしていても、

その地点にいても、いつか新しい朝が

必ずやってくると信じて、やわらかな心を忘れず、

柔軟に生きてい生きたいですね。






なんだか、地震後から、

めまいか空腹かわかりませんが、クラクラします。

なんなんだろう?・・・ではまた明日。