親に何でもかんでも言えない、と思うことが時々あります。

その動機は、親に「心配をかけたくない」というもの。

心配というか「心痛かけたくない」と思う。

自分の中の、親を思いやる気持ちが働いているから

そう思うのかもしれません。

それは、私の年代の子供だけではないのです。

小さな子供達でも親に心配かけたくない、

という優しい気持ちが働いています。

だから学校でいじめられていることなどは言わない子が多いのです。





私の場合、自分のことに関する心痛や自分の苦しみは、

自分で何とかすることができるものですが、

ただ親は精神世界も自己啓発も、そんなことを知らないので、

私の問題で、恐れや不安、心配をダイレクトに受けてしまい、

メンタルや体にそのまま悪影響があったりするので、

やっぱり心配はかけたくないな・・・と思うものです。

(ま、本気で心配しているわけでもなくて、大丈夫なんですけどね)






若さがあれば、体力と気力で乗り越えられるものでも、

70代、80代の親を持つ子供は、そんなことを考えたり

しているのではないでしょうか?





一方、親はいくつになっても親でして、

子供の幸せを願っています。

子供が生まれて腕に抱いた時、親はきっと

この子の人生が幸せであるように、と祈ったことでしょう。

そして、やっぱり今でも、それを願っていて、

子供が幸せだと安心するものです・・・

反面、年老いても親は親で、

いつも心配もしていたいのでしょうね。





そんな親心を思うと、胸が熱くなる思いがします。





しかし、私は父が嫌いで、今でも電話でちょっと話しただけで

イライラします。自分の内面と向き合っても向き合っても、

なぜ父にそういう思いがあるのか、もうすっかり

傷は癒えているはずなのに、根強い幼少時代の何かが

あるのでしょうね。感謝しかないはずなのに、

今でも、父はやっぱり苦手です。





それでも、過去に3回、父らしいことを言ったり、

私のことを心配してくれたこともあります。

記憶にあるのは、たったの3回です。

この49年間で3回です。それでもありがたいことなのです。





今の12歳も年下の夫と結婚する時に、父は彼にこう言いました。

「いいか?こんなに年が離れて結婚して、

惨めになるのは、年上の女のほうだぞ。わかってるか?

もし、娘が泣くようなことをしたら、どうなるかわかってるか?」

その言葉のあと、ここには書けないような怖い言葉を

父は彼に言っていました。

彼の震え上がる顔を思い出すと、今でも笑えます。





この時に、初めて父も、親なんだと思いました。

あとは、車をぶつけられた時に、そのぶつけた相手が

仙台ではちょっと有名な社長で、嘘をついて

私がぶつけたと言い張り、逃げたと母に話した後、

父が電話をくれて「話つけてくるから相手の会社教えろ」と

言いました。問題が大きくなるような気がしたので、

言いませんでしたが(笑)





どんな親でも子供を心配しているんだな、と

嫌いな父ではあったものの、そんな温かい気持ちに

少しだけなったことを思い出したのでした。





父は、来月79歳になります。

日本の男性の平均寿命は80.5歳だそうで、

もう少しだ・・・(笑)・・・(何が?)

時々、父が亡くなる時のことを想像します。

涙が出るだろうか?何を思うだろうか?

私は、後悔はしないだろうか?





・・・そんなことを思うのでした。

そして、年老いた両親に、私のことで

なんらかのダメージはできるだけ与えたくない、

やっぱり心配をかけてしまうから・・・とも

思ったりしてね。





親には心配をかけたくない、と思うのが子供心。

そして、子供の心配をいつでもしていたいと思うのが

親心なのでしょうね。それがいつまでも

自分が親である、という意識でもあり、

威厳でもあり、そして生き甲斐なのかもしれません。





「たはむれに 母を背負いて そのあまり

 軽きに泣きて 三歩あゆまず

 ~石川啄木「一握の砂」~




歌の意味は、引用させていただきますと、

「母が年をとって小さくなった現実、

ひどく苦労をかけてきた事実から、目を背けてきたのだけれど、

うっかりふざけて母をおぶったところ、

そのあまりの軽さが私の背中に伝わった。

ここに至るまでにどんなに苦労をかけたことか、

いかに大きな恩愛を受けたかと思うと、

一歩、二歩は歩けたけれど涙がこぼれてもう動けない。」

引用元





年々小さくなっていく親を見ると心が痛みます。

そして、おぎゃあと生まれてあちらの世界から親もやってきて

そして、小さくなって、またあちらの世界に帰っていく。

残された時間はわずかで、感謝の気持ちで

接していきたいと思うのでした。





私の年代ですと、もうご両親がいない方もいますね。

それでも、感謝はいつでもどこでも、天を仰ぎ、

感謝はできることでしょう。





嫌いな親であっても、

それができると、生き方が変わりますよ。

誰が喜ぶかはわかりませんが(親は喜びますね)

神様がそのことを喜ぶのは間違いないですし、

そういう人を神様は応援しますので。そして、

感謝できた自分自身がとても気持ちよく過ごせますから。





なんだか独り言のような記事に

最後までおつきあいいただきまして、

ありがとうございました。

ではまた明日。