雨風霜、雪にも負けず、

真冬にも耐えてた実家の柿。





50年前は、渡邊家にとっては必要とされていた柿。

渋抜きをして食べたり、干し柿にしたり・・・





今でも思い出す子供の頃。

渋抜きした柿がおやつに出た時は、

なぜかちょっぴりがっかりした。





でも、今はそれを無性に食べたい。

だけど、もう渋抜きする人はいなくて、

今は誰からも食べてももらえない。





今は食べられることも、見られることもない、

神様の鑑賞用の柿という運命でもあり、

そして、鳥たちの食料という運命をたどる。





それでも毎年、葉をつけ、実をつけ、

元気なオレンジ色となり、

真っ青な空とのコントラストを堂々と見せてくれる。





・・・やっぱり人は誰も見ていないけど、

庭の隅っこでただただそこにある。

時々実家でこの柿の木を見ると、

懐かしい気持ちと切ない気持ちが一気に噴出す。





柿たちは、時期が来れば、

実が落ちて、土の栄養となり、また今年の秋に、

昔のように、人に必要とされていなくても、

また「どうだ!」と言わんばかりに、

鈴なりの実をつける。




そんな堂々と何十年も生きているその柿たちを、

私だけでも、実家に帰るたびに眺め、

褒めてあげたいと思うのでした。




そして、もしかしたら、

柿のような運命を辿るかもしれない

自分の人生であったとしても、

天の神様に恥ずかしくない生き方をしたいと

なんとなく頭の中をよぎったりして。





そんなことを、柿を見て想像する自分は、

随分とまたポエマーだな、とも思ったりした(笑)





さあ、今日は3月最後の日。

4月の仕切り直しを前日の今日、するのはどうでしょ?

マイケル手帳使ってあげてね。ではまた明日。