マイケル、初めて洗面所に寝る

マイケル1



誰が、洗面所の洗い場に寝るのは

「変」って決めたんだ?

ここは、歯を磨く所、手を洗うところって

決めつけるのはやめよう。

このカーブがたまらニャく

カラダにフィットするんだから!

洗面所をベッドにしてもいい。

土鍋をベッドにしてもいい。

飼い主の顔の上に寝てもいい。

自分の人生の常識とは、

自分が決めるものニャンだ!




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ほとんどの人はコップは水を飲むものと決めてかかっています。

本当はもっともっと使い道があるのに。





コップは普通、水を飲むものでしょ。

それ以外の使い道は、変だよ。・・・と

思う人、言う人、叩く人、ジャッジする人がいます。





ある人は、コップを花瓶代わりに使うかもしれません。

しかし、それを見た別の人は、おかしいよ!

普通コップは、水を飲むものなんだから!と言う。





コップを花瓶代わりに使っちゃダメですか?

ペン立てになんかしたら、バカ?

キャンドルホルダーなんかにしちゃったら、もう頭おかしい人?

メダカなんか入れちゃったら、もう人間失格?





・・・なわけないですよね?

しかし、案外似たようなことで、

人間は、他の人間を思考と行動をジャッジし、

人の行動や言動に制限をかけたりします。





それは、他人だけでなくて、自分への制限、

リミットをかけて行動できなくしているのです。

人は自由である、ということを認めていない証拠。





一般的に「常識」と、言われていることを疑ってみると、

世界が広がったりします。今日の記事、極端に取る人も

いるかもしれませんが、柔軟に捉えてみてくださいね。





大きなことを成し遂げている人たちは、

一般的に信じられている常識を打ち破った人が多いのです。

地球は大きな亀の上に大きな像が乗っかっている、

という常識があった時代、それを疑って命をかけて真実を

伝えた先人たちがいました。





そのおかげで、今があるわけです。

「常識」国が違えば違うもの。

家庭が違えばこれまた違うもの。

そして、価値観、信念はそれぞれ違いますから、

それをジャッジする必要はないのです。





「あなたはそう考えるのね」でいいのです。

コーチングでいうニュートラルとは、その中庸の立場。

自分の考えがないわけではなくて、その人の考えや

常識はジャッジもせず、それがその人の真実なのね?

ということなのです。




そう思えると、自分と価値観が違った人に直面しても、

心穏やかでいられるわけです。





「ちょっと濡れているけど、気にニャらニャい」

マイケル2





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