家で一人でいると、

とてつもない孤独感にかられることがある。

それは、まるで世界中で自分がたった一人きりのような気がして、

恐ろしいほど寂しく感じて、元いた場所(天国なのかな・・・?)に

帰りたい気持ちになったり・・・





昔から、家族と一緒にいても

そういう変な感覚になったりする。





そうかと思ったら、また別の1人きりの時などは、

世界中のすべてと繋がっているような感覚になったり、

(これがワンネスか?!)・・・というか、

素粒子やエネルギー的な観点から言えば、

すべては繋がっているのだけれど、それがまるで

自分が、木だったり、空気だったり、山だったり、

その辺の石ころだったり、それと同じだよね?の感覚。

(自然の中にいるとき、高い所から下をみたときそうなることがよくある)





しかし、「ハッ!」と、現実に戻った時には、

やっぱり、ワンネスどころか、『個』に戻ってみたり。

あ、ちなみに、今日の記事はどうでもいい独り言。





昨日、トレーニングに行くために街を歩いていた。

午後からは別の用事でまた街に歩いて出かけた。





人間ウォッチングから妄想するのが大好きなもので、

目の前の人々をいつものように観察していた。





前を歩いていた30代くらいの女性二人は、

親友同士なのか、本当に楽しそうで、きっついジョークや

ボケ、ツッコミかましながら、お互いの肩をバシバシ叩きながら、

そして、大声で笑いながら歩いている。





その笑いは私にまで伝染し、なんだかこっちまで

大声で笑ってしまいそうになったり・・・。

そんな二人を見て、一瞬で幸せな気分になった。





また、目の前の50代くらいに見える夫婦(と思われる二人)

手をつないでいるんだわ。20代、30代で

手をつないで歩いている風景はよく見かけるが、

50代以上で手をつないで歩いている人はあまり見かけない。

本当に素敵だな~、と思った。

幸せのおすそわけをして頂いた感じ。





そして、夕方、前方から、真っ黒な顔をした中学生が

パンをかじりながら3人で歩いてきた。

野球部かサッカーか、陸上部か・・・





外での練習が終ってお腹すかせて、家に帰りながら、

パンを食べる。やったな・・・自分も。家までお腹がもたない。

彼らを見た時に、自分の中学時代の部活の帰りを思い出したり、

好きだった、野球部の憧れの先輩のことを思い出したり・・・





彼らを見て、かっこいいと思った。

日本の未来を背負った若者たち!という気分になり、

親でもないのに、何だか腸がぎゅ~って感じに

彼らをとても愛おしく思えた。





そして、頭にポン!と浮かんだ言葉は、

「少年よ 大志を抱け!」笑





自分のことを何様?と思いながらも、家に帰ってから

もうちょっとその言葉の意味を詳しく知りたいと思い調べたら、

まさに、自分に必要なメッセージでもあり、人生の中で

私が大切にしている言葉でもあった。





この言葉は、北海道大学の教頭の

ウィリアム・スミス・クラークと言う人の言葉で、

このようなものです。




Boys, be ambitious.
Be ambitious not for money
or for selfish aggrandizement,
not for that evanescent thing
which men call fame.

Be ambitious for the attainment 
of all that a man ought to be.


少年よ 大志を抱け!
お金のためではなく
私欲のためでもなく
名声という空虚な志のためでもなく
人はいかにあるべきか、
その道を全うするために、大志を抱け






そして、この文の後に「like a old man’(老人のように)」

続くそう。参考サイト





老人のように、というのは、私解釈だが、

老人と言ったらもう、死が目の前なわけで、

そこで必要なのはお金でも、名声でもなく、

どう生きるか、どうあるべきかで、

人生の膜を閉じるにあたって、どういう生き方をしたら

自分は満足な人生と言えるのか?ということを考えることだろう。





そして、当たり前に過ごしている1日があとわずかしかないわけで、

その日を大切に生きることと、精一杯に生きることを考える。

そんな風に若い時から生きることができたら、どんなにいい人生が。





若い時は、親が年を取ることも亡くなることも、

自分が老化していくことも、自分の死もまったく想像もできないもの。

もし、そんなことを若いうちからわかって過ごせたら、

何か違うかもしれない。この言葉、中学の時に知っていたが、

意味がわからず、48歳にしてやっと意味を調べるとは、

もったいないことだ、と思う。どうか親の皆さん、

お子さんにウィリアムの言葉、教えてあげて。





さて、話は戻って、そのあと、

前から、杖をついた80代後半くらいの

ご年配の男性を見かけた。まさに,old manなわけ。

歩くスピードは普通の人の10分の1ってくらい遅く、

一歩の歩幅が10センチ?ってくらい狭い。





おじいさんを見たときに、

またまた胸が少しキュン!ってなり、

父の老いた姿を思い出した。





父は、身体は小さいが、人よりも力があり、

足も速く、体力もむちゃくちゃあった。

しかし、年を取ってから思うように身体が動かなくなって、

自分の動かない身体に向かって、暴言を吐いたりしていた。





つらいだろうな、と。

実際のところ、48歳の私でさえ、若い時のように

身体が動かないのに驚くことがある。





老人を見るたびに、勝手な妄想だけど、

その人の人生を走馬灯のように見ることがある。

恋愛して、結婚して、子供を育てて、会社でつらい想いをして、

もしかして、夫婦喧嘩もいっぱいして、離婚もしたかもしれない。

もしかして、配偶者に先立たれたかもしれない・・・

でもこうやって生きている。誰の手も借りず一人で歩いている。

人生の終盤に向かって、1日1日生きている・・・





と思うと、その目の前のおじいさんに、

毛穴から「ありがとう素粒子」が出るくらい、

愛おしく感じてしまう・・・






最後に見た二人。

母親と小さな息子。

お母さんの手をしっかり握り、

下から母親を見上げるキラッキラした瞳と

ホッペのぷっくり具合いが、かわいすぎて、

そのホッペに、かぶりつきたくなる衝動が 笑





キレイな絵だな~、と。

カメラ持っていたら、後ろから撮りたいと思った。

夕日を背景に、手をつないだ親子のその姿のタイトルは

「信頼」なんていいかな、と。





しかし、子供はいつか成長して、母親から離れ、

愛する女性と出会って、ママのおっぱい吸っていたのに、

大人になったら、今度は彼女のおっぱい吸って・・・

↑ 失礼いたしやしたー!笑





そして、結婚して、父親になるかもしれず、

ならないかもしれず・・・でも母親の手を

こうしてしっかり握りしめている時代があったのだと、

忘れて欲しくはないなと、思ったりして。




今日は、ゆっくり妄想タイムを味わった1日。

人間って素敵だな、と。それはいいことばかりじゃなくて、

もがいて、苦しんで、転がりまくって、

血を吐くような思いもあるからこそ、

小さな幸せをも感じることも出来て、やっぱり、

生きるってすごいことだと感じた日だった。





素敵な1日をお過ごし下さい。

まった明日~♪