私たちは、毎日毎日何らかの選択をして生活しております。
今日は何を着ようか?何を食べようか?パンかご飯か?
雨が降っているから、タクシーで行こうか?
それとも、バスで行こうか?地下鉄で行こうか?
帰りは、飲み会に誘われたけど、行くか?行かないか?
そんな風に、一日何十と言う選択や決定によって、
私たちの人生は作られていっています。
どんなものを選択し決定したとしても、
間違いは何もなく、失敗も何も無く、
ただそこには事実があるだけ。
そこに意味付けをしているのは、自分自身です。
そして、その選択によって得られている結果を、
どう思うか?どう扱うかによって、
人生は幸福になったり不幸になったりもします。
であるならば、よい意味付けをして、
楽チンに生きていけたらいいですね。
昔は、私は「後悔」というものをよくしました。
「あの時、あれさえ選ばなければ、こんなことにならなかったのに」
「あの時に、別の選択をしていれば、失敗はしなかったのに・・・」
そんなことはたくさんあるものです。
しかし、今は、後悔は何一つありません。
過去の迷いにおいても、そのときのその選択がなければ、
今の私はどこにも存在していないわけですから。
であるならば、何も間違った選択はしていない、
ということになるのです。
今思えば、あの痛い思いをしたことが、よかったんだな・・・とか、
あの時、泣く泣く引っ越したけど、引っ越したお陰で、
今の環境が得られているんだな・・・とか、
このつらい想いをしたお陰で、こんなに大切な人、
愛する人との出会いがあったんだな・・・と。
どれも感謝すべきことです。
しかし、自分の選択と決定から招いた苦境の渦中にあると、
そんなに前向きに考えることが出来るわけではないかもしれません。
苦しい時は、ただ、ただ、ひたすらそこから抜け出るのを待つのみ。
もしくは、聖書の言葉の中に「あなたの重荷を神にゆだねよ」
という言葉がありますが、神様に、その問題を放り投げてしまい、
自分はただただ、川の流れに身をゆだねるが如く、
あるがままの自然の感情を味わってみる。
捕らわれている感情に浸り切った時に、
心が解放される瞬間が訪れます。
そのとき、初めて楽になれるものです。
ちょいと、話がそれましたが、
大切なことはただ1つ。
あなたは、何を選択しても失敗はない。
それはあなたの人生において必要な
出来事だったのだから。
結局は、間違ったかのような選択であっても、
すべては神様の想定の範囲内のこと。
失敗したかのように見えるその出来事さえも、神様の想定内。
その選択の事実から、ただただ私たちは、自分なりの
意味付けをしたり、教訓を拾ったり、そして
成長していっているのですから。
今日の記事はここまでです。
いつもコメントありがとうございます。
皆様のコメント内での経験だったり、報告だったり、
決意だったり、中には、反論だったり、いろいろとありますが、
とても参考になったり、また次の記事のヒントを得たりしております。
ありがとうございました。