葉






今日の記事・・・キツいかも。

・・・って実は、キツいってまったく思っていないんですけどね。

でもある人にはこういう記事、キツいみたいです。

何かのきっかけになれば幸いです。





他人責任

自己責任






いつも自分の身に起きたよくないことを他人のせいにしている人は、

何事においても、誰かに何かをされたなどと思いがち。

どんな嫌な感情になったとしても、相手によって

その感情にさせられたのではなくて、

自分がその感情を選んだのです。





外的な要素は、トリガーになったとしても、

そのあとの感情を選んでいるのは自分です。





ここに納得していないと、今日のタイトルにあるように、

私は○○さんに傷つけられた、

私は夫に(妻に)裏切られた、

と思い、人を恨む気持ちをふつふつと持ち続け、

そのまま負の感情に飲み込まれ、不運になって行くのです。





しかし、自ら選んだ感情である、と理解した時に

誰も責めようとはしません。そこでストップするのです。

ああ、自分がその感情を選んだのだな・・・しゃーないな。と。






しかし、他人にされたと思い込んでいますと、

その負のエネルギーは、相手が受け取らない限り、

自分の中に混在し、その負のエネルギーはあなたを蝕むのです。





自己責任と割り切るか、もしくは相手を許すとかという

選択をしない限り、ずっと負のエネルギーが残り、

運気低迷、体調不良、メンタリティーの低下、

恨みつらみ憎しみ・・・なんちゃらかんちゃらの

負のスパイラルへようこそ!!!イタタタ・・・になってしまう。





いいですか?

要点はこうです。





傷つけられたのではなくて、

傷ついたのです。自ら。

または傷つく、ということを選んだのです。

裏切られたのではなくて、

裏切られたと思っただけです。自分が。






物事の解釈や意味付けは、すべて自分で出来るもの。

いちいち人のせいにした意味付けは、

思考を複雑にしているだけ。





どうしてあの人はあんなことを言ったのだろう?

なぜあの人はあんなひどいことを私にしたのだろう?

どうしてあの人は・・・なぜあの人は・・・





全部違います。

全部、自分です。

自分が、人のせいにすることで正当化したいだけ

どうしても人のせいにしたがる他責の人生・・・





そういうつらい気持ちを汲み取って欲しくて

誰かに心のうちを話すのはOKだとしても、

自分がされたと勝手に思い込んでいるそのことに

同情を引くために、あちらこちらにそれらを言いふらすと

どんなことになると思いますか?こわいことになるよ~。





ついこの前もねたみの記事でお伝えしましたが、

量子力学で言えば、意識が向いたものが現象化する、ということ。

自分で私は傷つけられてかわいそう、という部分への意識、

さらに他の人からも、あの人は傷つけられてかわいそう、

語れば語るほど、傷つけられてかわいそうなことが現象化していきます。





それって、結構つらいもの。

全部、自分が選んだのだ、と思えば、

他人なんてどうでもよくなります。




石につまづいて転んだままで、

立ち上がりもせず、この石のせいで私は転んだ!

この石を置いた人が悪い!と立ち上がりもせずに

わめいているのと似ています。それよりも、

石につまづいた自分の責任、と思ってさっさと立ち上がって

起きて前に進むでしょう?人間関係のトラブルなんかも同じ。





自分の感情や解釈、そして意味付けは

全部自分でしていると思うと、もう誰にも

コントロールを許していません。

だって、自分の人生、自分がコントロールしているのですから。





いちいち、人にどうこうされて、傷ついただの

裏切られただの言っている人は、自分の人生他人任せの

他人にコントロールされていることに気付かないもの。






物事をいつも、自分フィルターでしか見ておらず、

客観的に物事を見ることができない、

狭い視野になってしまいます。





ま、解釈の仕方ですが、他人に○○させられた、

と言う考え方は、行動力の低下、モチベーションの低下、

苛立ち、憎しみを生みます。面倒だよね?そんな考えは。

そういう解釈はいるの?いらないの?

いらないと思ったら、捨てればいいだけです。シンプルでしょ?





例えば夫が浮気したことで夫の性ばかりにする妻がいますが、

本当に夫のせいだけ?

夫の注意を引いていられなかった自分の責任。

そして、そんな浮気夫を選んだのは誰か?

そう、自分です。本当に本当に本当に夫が嫌ならやめればいいし、

それでもその人と一緒にいたいと思うならば、

夫のせいにしないで、自己責任として妻として

やれることをやることもできるし。





さて、キツい記事だったでしょうか?

私は自分の記事にまったくキツさを感じたことがないのですが、

先日、編集者に、「ワタナベさんのブログは、優しさもあり、

愛もあり、時に厳しいお言葉もあり、本当に素晴らしい」と

お褒めの言葉をいただいたのですが、私的には「ん?」と思ったのが、

「厳しい?厳しいこと書いてありますか?」とまったく自覚無し。笑





愛込めまくっているので、厳しいとかキツいとかは

書いててまったく思ったことがなかったのですが、すべては投影。

読み手にとっては、まるで叱られているような

気持ちになるのかもしれません。





ついでにいえば、叱っていません。

あなたを変えようともしていません。

この場は、ただ単に私の価値観を表現している場です。





私ごときが、あなたを変えようとか、あなたに良くなって欲しいとか、

あなたを幸せにしたいとか、世界を平和にできるだなんて

1ミリも思っていませんで、ただたんに価値観信念を表現しているだけ。





私は私の好きなように生きるだけです。こんな風に生きているよと

ブログに書いているだけの話です。

それを誰かが見て、すごく励みになったと言う人もいれば、

キツかった、傷ついたと言う人がいるかもしれませんが、

それは私の責任ではありません。





全部自己責任です。

そうなると、人間関係は超ウルトラスーパー楽チンです。

だって、自分で自分の人生をコントロールしているのですから。




そして、この他人責任の道を過去に歩んできた者の一人です。

やっぱ、今思えばそのときは複雑な生き方をしていたな、

と思うのです。生きるのがしんどかったのもそのせい。

自己責任で生きると楽になるものです。



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さてさて、3日ほど前にあることを手放しましたら、

いや~、法則ってほんと忠実。運気上昇。いいこと起きまくり。

そのいいこと数えたら、片手で足りないほどの

喜ばしいことが舞い込んできています。





昨日の記事で、新刊の重版のお知らせをいたしましたが、

またまた昨日の朝、編集者さんからご連絡が入りまして、

「自分を変えるレッスン」の本の重版が決定いたしました。

5000部の重版、6刷り目でして4万6000部となりました。

皆様のお陰でございます。ありがとうございました。





自分を変えるレッスン





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早いもんで、2015年入ってから、3分の1が過ぎようとしています。

ついこの前2015年明けたばかりなのにね?

この調子で言ったら、もう、また新年おめでとうだよ?

今年はこの3、4ヶ月の間に手放した物がたくさんありました。

しかも、人生を左右するくらい大きなことも含まれています。

島倉千代子の「人生いろいろ」の曲が頭の中を流れています。

では、また明日の訪問もお待ちしております。