なんて後ろ向きなタイトル、

・・・なんて思われましたでしょうか?

しかし、これはすべて、自分が心地よく生きる処世術。





極論言えば、別に勝ち負けというのはないのですが、

とりわけ人は、無意識に誰かと比べています。

比べて、自分がダメだと思ったら、それが負けだと思う人もいます。

他人の誰かと比べて、自分がああではないことをうれしく思う、

と言った時点で、どこか優越感、または勝っている気持ちになったりします。




それに対して、いい悪いをジャッジすることはしませんが、

一番自分にとって心地よい状態であれば、

今日のタイトルにあるように逃げても負けてもいい、

ということを言いたい。





私は以前、職場で男性から、いじめを受けたことがあります。

人生初のいじめです。いじめについては、また別の記事で

いつかじっくり書きたいと思いますので、詳しくは書きませんが、

一ヶ月だけ耐えましたが、執拗にそれが続いたので、職場を辞めました。

逃げた、と取る人もいますが、私としては、続ける、と言う選択を

しなかっただけなのです。不快感が続いたばかりか、その人のことを

憎く思ってしまうようにもなっていったから。





といいますのは、闘うだけが私のやり方ではない、

と思ったのと、どうでもいいことにエネルギーを

使いたくなかったから、がんばり通すという選択をしませんでした。





これ以上その人の元にいたら、自尊心が崩れてしまうと、判断しました。

その人の理不尽さを訴えることもできましたが、

私は、自分の正しさや正義を通すだけが

正しいことではないと思っていたからです。





誰かが正しい、正義、と主張した時点で、

誰かが間違っている、と言っていることになるからです。

だから、誰とも闘わない、という選択をすることも出来るのです。





負けるが勝ち、という言葉がありますが、

(負けも勝ちも究極を言えばないですが)

平和的に相手に勝たせてやっているかのように見えても、

有利になるのは、譲った方だったりするのです。





負けず嫌いの人の傾向は、最後まで何かを主張したり

言ってやりたい、という気持ちかられ、

相手を不快に思わせても、自分の非を認めません。





しかし、謙虚な人は、何かの出来事に対して、

自分が悪くなくても、相手を不快にしたことに対しては

相手に謝れるものです。それは器の大きさでもあります。

私の仕事上お付き合いしている人々は、本当に謙虚で謝れる人たちばかり。

私は彼らに見習い、常にそうありたいと思っています。





彼らは逃げているわけでも、負けている訳でもありませんが、

くだらない争いにエネルギーを奪われたくないので、

頭を下げてさっさと関わらないようにするのです。





別にどうでもいい人との関わりの中で、

自分の正しさを主張し続けることはないのです。

相手との関係で「だめだ、こりゃ」と思えば、

静かに離れればいいだけ。その人から逃げてもいいのです。





それは、逃げたわけでも、負けたわけでもなく、

事情を調整した、選択肢を変えた、相手との関わりをもたなくなった、

・・・などなど、お好きな表現に変えて自分の納得のいくように

したらいいと思います。





私は、面倒な争いごとが嫌いなので、闘いません。

こういう立場になってくると、非難も当然受けますが、

どうでもいいことはスルーして、「それはひどいのでは?」と

思えるようなことは弁護士に任せていて、自分は関わらないので、

私自身のメンタルは穏やかです。





また、仕事が忙しすぎて、体がしんどかったり、

プライベートが充実しなくなるほどの状況だったら、

仕事も断ります。ある人は逃げている、と取るかもしれませんが、

逃げます。だって、自分の体のほうが仕事より大切なのですから。





・・・ということで、1月2月、私は自分自身でもストレスが

気付かないほど、忙しくなっていましたが、

少し方向性を変えることにしました。





皆様も、何事も無理はなさらないでくださいね。

心身共に、自分の体が一番大切なのです。





さてさて、新幹線の窓口で、どうなったかご興味をお持ちの方も

多いかと思いますが、グランクラスにしたので、

こまちを勧められる余地無し!ってことで。

もう一回チャレンジしてみたいとも思ったんですけどね。

確実にE5系の新幹線に乗れる方法をチョイスしました。

では、また明日~。