昨日はなんだか、何でもない、何にもないことに

じわじわと幸せを感じた日でした。

いや、むしろ今は私ってば、いろんな問題だらけの

真っ最中なのにもかかわらずです。

不幸な状態ですと、幸せって感じにくいと思いますでしょ?

案外そうでもないのです。今日はそんなこと書きます。





ま、結局のところ、幸せか不幸せなんて、

ただの思考の癖だから。

状況が最悪でも、笑えるネタは転がっていて、

幸せになることは可能なのです。





今日は、自己体験でもあるのですが、

なぜ不幸せ思考になっているのか?

なぜ幸せ思考なのか?

その仕組みについて記事にしますね。





まずは、私自身、なぜ今日はしみじみ幸せだったのか?

私は人間ウォッチングが趣味なんですけどね、

そこで、いろんな想像をするのです。





昨日の仙台の午前中、台風のためのため暴風雨でした。

雨に濡れたくなかったので、少し遠回りでしたが、

アーケードの中を歩いていました。





アーケード内





目の前を二人の夫婦が歩いていました。

奥様はお若いのですが、おしゃれもせず、女を捨てている感じの人。

旦那さんは、取り柄は優しさ、というのを具現化したかのような人。

太っていて、身なりもファッションもあまり手をかけていない人。





その二人を見たときに、心からわき上がるほどの

「嗚呼、幸せそう・・・」と感じ、そして、

私もなんだかほのぼのしてきて、幸せな気持ちになったのです。





旦那さんは、1歳半くらいの子供をおんぶ紐でもって

おんぶしていたのです。旦那さんがおんぶしているって珍しいな、

と思って見ていました。





ベビーカーでもなければ(ま、雨だしね)抱っこでもなく、

昔ながらの、おんぶ紐でおんぶしていたのです。

その姿を見た時に、旦那さんの優しさ、そして奥様の幸せ、

そして、子供の幸せまで垣間みました。

寄り添って歩くその姿が、なんとも仲睦まじくて・・・





視点は、一応自分目線の、他者観察になりますが、

しかし、もっともっと上(上から目線って意味じゃないよ)

例えば、その夫婦の親の視点とか、または、

おんぶされている子供の視点とか、ご先祖様とか、

はたまた神様とか・・・そんな視点から想像力を働かせて

物事を見たときには、本当にいろんなものが見えてきます。





仲がいいかどうかは蓋をあけてみないと分かりませんし、

家に帰れば大げんかしているかもしれません。

そ れ で も ! 私は、彼らから幸せをいただいたのです。

なぜなら、私の視点は常に、いつも『幸せ』ゆえに、

『幸せ』が脳内に置かれていて、幸せを投影しているからです。





これは、不幸思考だと不幸を投影します。

あんなおばちゃんになりたくないとか、

あんな大きな子供おんぶさせられていて、

旦那さんなんかかわいそう。とか、





これまで、今ある小さな幸せに目を留める、というのは、

耳タコになるくらい記事にしてきました。

一日の最後に、感謝ノートかこうよ、とか

日々得られている、ありがたい出来事に目を留めようよ、とか、

健康であることって当たり前じゃないよ、とか、

・・・いろいろ在りますが、幸せ思考になるポイントは、





あなたの視点は

どこからどこを見ているか?


ということ。





往々にして不幸思考人の視点は、自分のみ。

自分の視点で自分しか見ていない

ところにあります。





例えば、箱の中に「あなた」と「問題」とか「幸せ」とか

「解決策」とか、「その他もろもろ」が入っていたとします。





あなたは、箱の中で、「問題」しか見えません。

他のものは見えないのです。

「問題」しか目で追っていないから。

しかも、箱から出ようともしません。





しかし、箱の外に居る人は、「問題」も見えるけど、

もっといろんなものが見えます。

「解決策」のほうが多いのも気付いていますし、

実はそんなの「問題」でもなんでもない、というのも見えます。





箱の外に一旦出れば、いろんなものが見えるのに、

不幸思考の人は、いつも頭に不幸と問題、不安、恐れがあるために、

箱の中にある、「問題」「不幸」「不安」「恐れ」ばかりを

探して目で追って、そして「やっぱり私は不幸」と思い込むのです。

そして、その不幸だと思った意識は、不幸の周波数を発し、

その不幸の事象を身に招いてしまうのです。





箱から出ましょう。

不幸以外にも目を留めてみましょう。

脳の癖を直しましょう。





それは、自分にある、「幸せ」「なんとかなるさ」「楽しい」「うれしい」

そういうものを見つける癖付けが出来ますと、

いつの間にか、幸せ思考になって行きます。





不幸思考だった以前、私は、楽しいことには目を止めず、

箱の中に入って、自分視点で自分だけを見て、

そして「問題」と「不安」だけを見つめていたのでした。

それが生きる希望さえなくしていたのです。





箱から出るとは、俯瞰する、

つまり客観的に物事を見る癖をつけてみることです。

物事を、自分視点からではなく、相手視点、第三者視点、

もう、この際神様視点、または、上からも下からも

横からも斜めからもみてみること。

そして、小さな幸せに目を停める癖をつけていけば、

もう、頭の中はお花畑で蝶々が飛んでるくらい幸せ思考。

あ?そこまでなりたくない?笑





そして、幸せ思考の人は、往々にしてポジティブ思考なのです。

不幸を体験しても、「でも●●もあるものね!」と、

自分の中にあるや、喜べる点にフォーカスするのです。





私は、先ほどの夫婦を見たあとに、

心地いい気持ちでパン屋さんに入りました。

一個330円のパンを買って、レジで精算していたら、

店員さんが「台風の中、来ていただきありがとうございました。

珈琲、カフェラテ、紅茶の中から、お好きなものを一つ差し上げております」と。





私は、340円のカフェラテを頂き、先ほどに小さな幸せが

倍くらい大きくなって、心が温かくなったのでした。

小さな幸せはまた幸せを呼ぶ。これが引き寄せの法則なのです。

一個330円のパンを買って、一杯340円のカフェラテを頂く。





カフェラテ





小さなことで体感できると、それこそ、

デッカなこともいとも簡単に引き寄せられるようになります。





ということで、今日の記事はここまでです。

明日の訪問もお待ちしております。

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