はいはい、ナルシスト画像から本日は失礼いたします。
正面画像で勝負できないので(誰と?)、ふせ目画像で。
ワタナベの気持ちということで、自分画像使ってみました。
石投げたり、緑のスリッパでスパーン!はお控えください 笑
Gmail不具合、解消いたしました。
御返事は順番にさせていただいておりますので、
しばらくお待ちくださいませ。
昨日一昨日と、モモのことでたくさんの方からの
温かいメッセージ、本当にありがとうございました。
一昨日、夕方、モモの息が浅く、荒くなり、目がうつろになり、
とうとうお別れの時が来たと思い、撫でながらありがとうを
たくさん言いました。いよいよお別れかと思った時に、
最後に、大好物のフルーツをあげようと思い立ち、
梨を口元に持って行きました。
そうしたら、目がガッ!と開き、ガツガツと食べていました。
ワタクシ、指まで噛まれました・・・梨だと思ったらしく・・・笑
はぁ~、べっくらした..... たぶん、皆様の祈りが効いたのかと思います。
そして、昨日は、驚くことに立ち上がり、歩き回り、
おしっこもウンコも一人でして、
部屋の中を散歩(徘徊ともいう 笑)していました。
初日は、何度か息が荒くなり、目がうつろになり、
ここでお別れか・・・と思ったことが何度かありました。
お別れしようと夫を呼んで二人でモモに寄り添おうとしましたら、夫が、
「モモちゃん!ゴルァ~!起きろー」
みたいに叫びますと、目が、ガッ!と開き、シッポを振る、というのが数回。
安らかに逝かせてもらえなかったことが幸いして、
今は本当に元気になりました。皆様のおかげでございます。
祈りが聞き届けられました。心より感謝申し上げます。
さて、今日の記事、独り言なんですが、みなさまに伝えたいことがあります。
最近、当ブログの内容は、美人になる方法からかけ離れ、
「生きること」「人との別れ」「人生」という
「美人」とはかけ離れた内容になっているのですが、
それが私にとっては「美人になる方法」だと思っております。
一般的に「美人」とは、容貌が美しい人をさします。
しかし、私は生き方が美しい人、という捉え方です。
生き方が美しい人は、やはり外見にも現れているのです。
シワがどうだの、太っただの痩せただの、そんな事も関係無しに、
素っ裸にして、さらに、肉体も脱いだ時に、その人の魂はどうか?ということ。
前者の捉え方をしている人からしたら、
時々、私がコメントなどで浴びせられる言葉、
「その程度で美人ゆうな」とか「あんたのどこが美人?」
とか、シネとかクソとかゴミとか言う人は、美人と言ったら
外見美のことだけを思うのだと思います。
で、話を戻しますが、私が伝えたいことは、
当社のスローガンになっている「やりたいことは全部やる!自分の人生」
(前は、美人の人生だったんですけどね)ということと、
もう一つは、テーマは人生においての「楽」
いかに楽チンに生きるか?
いかに楽しく生きるか?
いかに楽々こなせるか?
それなのです。
しかし、これは苦しい事がない、と言う意味ではありません。
ハッキリ言ってしまえば、苦しい事は平等にどなたにでも生じていること。
楽しい時はサクサク物事が進み、
生きているのもすごく充実していることでしょう。
そんな時は、別に自己啓発も心理学もヒーリングもセラピーもいらない。
(本当は、大変な時も自分でヒーリングできるんですけどね)
キモとなるのは、
しんどいことに直面した時にどうするのか?
ネガティブな感情に支配されてしまった時にどうするのか?
逆境や試練の時にどうするのか?
(※10月発売の本は生きるのが楽になるというテーマでメンタル本です)
これが、大切なのです。
つらい、と感じる時って、愛する人やペットとの別れの時、
裏切られたとき、思い通りになれなかったとき、
ネガティブになってイライラしたとき.....
などなどなのです。これらを乗り得る術を知っているとき
「楽(らく)」になって「楽々」乗りこえて、「楽しく」なっていくのです。
それらを乗りこえるには、経験が必要なのですが、
経験から学ぶ前に、知識で知っていると、その知識を活用できます。
その知識が助けになって、実際にやってみて、経験となります。
実は、皆さんもつらい経験を多数されていると思います。
表現者である私は、私自身のつらいことから『教訓』を取り出し、
そして、それを言語化して伝えています。
ですから、その自分の痛くてつらい経験が、誰かの役に立ちます。
そういう意味で、今回もモモのことを書こうと思った次第でした。
悲しみに打ちひしがれて、ペットロスになる人もいますのでね。
ずっと心の痛みを抱えたまま、生きて行くのはしんどいので、
どういう見方をしたら楽なのか?そんなことを伝えたいと思いました。
モモはこのたびは、何とか元気になりそうですが、、
いつかはお別れのときがきます。私には子供がいないので、
それはまさに子供の様な存在を失う、という試練に立ち向かう
私を見ててほしいと思ったのです。
(※実際のお子さんを失った方とは比べものにはなりませんが。
それは世界で一番つらいことだから・・・)
モモの話に戻しますが、
寿命って、寿の命と書きますよね。
寿命が尽きるってある意味めでたいのです。
それは残された者にとっては、つらい試練であってもです。
命の長さには、善し悪しはまったくありません。
短いからかわいそう、長いからおめでたい、ということは
魂レベルで考えた時には、関係ないのです。
例え、この世に誕生する事がなかったお腹の中の赤ちゃんも同じ。
死は、負けでもなく、失敗でもなく、
命の長さに関係なく、命尽きるまで生き抜いた場合、
神様から、「戻ってきていいよ」と言われているおめでたいことなのです。
そして、精一杯生き抜いた人は、「よくやった」と言われる訳です。
ということで、先日の記事の「命尽きるまで生きる」
そういう生き方をしていきたいと、改めて思い、
そして、このブログをお読みくださった皆様と
楽に夢を叶えて、楽しく生きる術をこれからも
共有できたら、と思っております。
昨日のモモのあくび画像です。
一昨日、意識がほとんどなくなり、二つの病院で、死を覚悟してください、
と言われた画像にはまったく見えない元気なモモです。
皆様、本当にいつも助けられております。ありがとうございます。