こんにちは。ワタナベ薫です。

昨日は、東京から編集者さんが、わざわざ私の自宅まで来てくださり、

最終打ち合わせをいたしました。最後の13ページにわたり、

皆様の感想を載せさせていただいたのですが、字をもうちょっと

大きくしてくださったので、読みやすくなりました。




私のクライアントさんのお名前とか、ブログでコメントくださる方のお名前、

FB友の皆様のお名前、たくさんの人を見つけて、ちょっと感動。

残念ながら、文字数と編集の関係上、25日過ぎて感想を

送ってくださった方は、お載せできませんでした。ごめんね。




では今日の記事。

10年くらい前のことですが、ある人にこんなことを言われた事がありました。

「私、子供の頃から人の顔色を見て過ごしてきたから、

人の心がどんなかよくわかるようになったの。

ワタナベさん、今、こんな風に思っているでしょ?」




内容は特殊なことなのでかけませんが、

大雑把に言えば、ある出来事に関して、

私が無関心だったことを見たその女性は、

私が、怒りを感じている、とか、その相手にねたみを感じている、

と見えたようなのです。




その時の私の感情は、ねたみどころか怒りどころか、

ただ興味のない、無関心な事柄だったゆえ、

私の無反応さを見て、彼女はそんな風に感じたようです。

ま、よくある話です。きっと皆さんも経験あるかもしれません。




人は何かを見て情報を取り入れる時、

自分のフィルターを通して見て、見たいものだけ、欲しい情報だけ、

拾いたいところだけ見る傾向が誰にでもあるもの。

つまり、人の脳内地図は全員違う、ということ。




$美人になる方法




当ブログも、100人読めば100通りの捉え方をそれぞれがされています。

だから少数ではありますが、非難されることもあります。

それは、その人のフィルターで見れば、私の発信することが

非難すべきものだったと判断したからだと思うのです。




そんな私も、公平かつ客観的に見ているつもりでも、

結局、自分のフィルターを通してみていて、そして、

その情報は非常に曖昧だってことを忘れないようにしています。




特に過去の記憶なんて真実はないですよ。

ほんとんど妄想だと思ってもいいくらい。

私たちは情報を記憶する時、脳内で何をやっているかというと、

自分のフィルターを通し見たいものだけ、取り入れたいところだけ

取り入れているのに加え、かつ、その入ってくる情報を、

自分のいいように歪曲しています。取り入れやすいように調理している感じ。




さらに言えば、適当に省略もしています。

だって、全部情報って入ってこないし、

人は自分の理解したいようにしか理解しないし。




もっと言えば、自分の過去の経験である種の

パターンみたいなものを作っていて、そのパターンに上手に当てはめる、

つまり、自分の常識(思い込みといってもいいかも)に当てはめて記憶してる。




こんだけ無意識レベルでやっちゃっていれば、

その記憶ってほとんど妄想でしかないんですよね。

だから、私は自分の過去の経験の記憶でさえ、真実だと思っていません。

もっと言えば、過去なんてどうでもいい。だって曖昧過ぎるものだから。




例えばなんですが、以前のブログ記事でも書きましたが、

私の友達が、子供のころあんぱん食べようとしたら、

お母さんがそのあんぱんを急に取り上げて、おいしそうに食べていた。

お母さんはすっごく食いしん坊で自分勝手な人、という記憶があった彼女は、

大人になってからそのことをお母さんに話したら、お母さんは、




「はぁ~っ!?何言ってんの?あの時、小さいあんたは

あんぱんでのど詰まらせたから、急いでそのあんぱん取り上げて、

背中さすったりしていたのよ!横であんぱん食べてたのは、弟でしょ!(怒)」




人の記憶とは、こんな感じ。




自分の感覚というものが、自分の中では真実でも、

本当はどうかな?ってところです。




怒っているように見える人が、本当は違っていることなんてよくあるし、

悲しんでいるように見えるかもしれないけど、実は考えているだけだったり、

あの人、今、こんなにきっと感じているかも....と想像しても、

それは自分の心の中にあるものを、相手に投影しているだけ。




投影とは、簡単に言うと、自分の心の中にあるものが

他の人や、他の何かの状態に映し出される事

つまり、見え方は自分の心の中にあるものが相手を通して

見えているのである、ってことに気付くと、

自分が何を考えているかもよくわかるようになります。




と言っても、何もかもそれを投影だ、とするのも

どうかとも思いますがね。




簡単な例えで言うと、秋の燃えるような夕日を二人の人が見ていたとして、

二人ともため息をついていたとします。しかし、二人は全く別のことを

その夕日から感じているのです。




一人は「はぁ~、なんと美しい夕日だろう....」と。

もう一人は「はぁ~、なんと寂しげで悲しい夕日だろう」と

二人ともため息をついている。




同じ景色を見ても、自分の心の中をその夕日に投影しているので、

見え方が全く違うと言う訳です。同じく、他の事象、他の人、

他の人が書いたブログなどから感じること、拾うところなども

自分の心の中を投影していることがある。




これっておもしろくって、やたら周りの出来事を見るたびに

楽しく思う人、ワクワクする、感動する、感激したり、

一方、同じ出来事を見ても、苛立つ人、腹立たしく思う人、

悲しく思う人がいますが、それはその人の心の中の状態で

見え方もまったく違ってくるものです。




さて、自分が見えている世界は自分だけの真実、

ということが分かっているとどんないいことあるの?って話ですが、

それは、人との価値観の違いにぶつかったとしても全く動じないですむ、

その違いにいちいち落ち込んだり、自分の考えを知ってもらおうと

躍起になることもなく、ニュートラルにスルーできるようになります。





だから、生きていくのが楽。

最近私、楽なほうにばかり流されていって、大丈夫かな?(^∀^;)

・・・って状態なのですが、大丈夫だよね?

正月休みが長かったせいか、少しエンジン回っていないかも。

と言っている場合でもなく、私明日はもう大阪出発でした!!

旅の準備をせねば・・・ということでまた明日の訪問もお待ちしております。