こんにちは。ワタナベ薫です。

昨日、突然ある年上の女性から電話がありました。

彼女のお父様の49日も終わり、ホッとしているところに、

私のことを思い出して「どうしても電話をかけたくなって電話したのー。」

と明るい声で話されていました。




大好きなお父様を亡くしたことを存じておりましたが、

私は、彼女になんと声をかけていいかわからずに、

お父様とお別れでしたね。悲しかったですね・・・とだけ言葉にしました。




そうしたら、彼女は明るい声で、「薫さん、私、なんの後悔もなくてね、

やることは全部親にできたから、もう、本当に喜びでしかないの。」と

おっしゃっていました。





彼女は親をこのたび天国に見送ったわけですが、

そのすがすがしいまでも、本当に親孝行の人で、

愛する父親をおくるその姿勢は、私がこれから訪れるであろう、

親を天国に送るときの、まるで目指したい模範者でした。



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数年前、私はこんな決意をしたことがありました。

「おくりびと」という映画を見たときに、銭湯の母親が亡くなり、

息子が泣きながら、「かあちゃん、ごめんな、ごめんな」という

シーンがあるのですが、それを見たときに私は一つの決意をしたのを

今でも覚えています。




私は決して親には謝らない!と。




どういう意味かというと、昨日私にお電話をくださった女性は、

本当に一生懸命、親孝行をしてこられた方です。

お父様の晩年は、娘にあれだけ世話をされて、

どれだけ幸せだっただろうか・・・と思えるほど。




彼女はおっしゃっていました。

「薫さん、多くの人は親をおくるときに涙を流すけど、

後悔の涙が多いと思うの。私にはそれが全くないの」




もちろん、寂しさと悲しみにとらわれた涙でもあるのでしょうが、

その背後には、後悔の念は少なからずあると思いました。

この重みのある言葉を聞いたときに、映画の「おくりびと」の中に

出てくる銭湯の息子が、母親が亡くなって「かあちゃん、ごめんな、ごめんな」

と謝っている場面が浮かんできたのです。そして、その時の私の決意。

親に謝りながらおくったりはしない。




親があちらの世界に行くときには、「今までいろいろと楽しかったでしょう?

若いときは苦労したかもしれないけど、老後はよかったよね」、と

笑顔で言ってあげられるようにしたいな、と誓った数年前の日のことを

昨日は、彼女が電話をくださったおかげで、思い出すことができました。




私の年代、もしくはそれよりもお若い人々も、

親を見送った方はたくさんいらっしゃるわけで、

その人々が同じく感じられていることの多くは、後悔。




もっとこうしてあげればよかった、

ああしてあげればよかった、

もっと会いに行けばよかった、

もっと優しい言葉をかけてあげればよかった・・・




などなど。私も何もしなければ同じく悔しい思いをしながら、

その銭湯の息子のように、「ごめんねごめんね」と謝りながら

おくることになることでしょう。想像しただけでもいや。




順番で行けば、自分よりも早くあちらの世界にいく親たち。

日本の男女の平均寿命って、厚生省の調べによると2011年は、

男性は79.44歳、女性は85.90歳だそうです。

我慢に強いられた年代でもある彼らが残りの人生を豊かに過ごせるように、

できることをやってあげられたらいいな、と思いました。