こんぬつわー。ワタナベです。

3月31日(土)福島のセミナーですが、お一人キャンセルがございましたので、

もし、ご都合がつくお方はどうぞ。申込み欄はブログの上にバナーがございます。



さてさて、本日の記事は、「幸せな人と不幸せな人との違い」というものです。

何気ない日常って、最高に幸せだよー!を知っていただくための記事です。



しょっぱなからちょいと暗い話でごめんね、なんですが、数年前に負の遺産、

と呼ばれているポーランドにある強制収容所を見学したことがあります。

その時の記事はこちら 



美人になる方法-1
(画像はビルケナウの強制収容所です)



ガイドの人からその時の様子をお聞きしましたが、想像しただけで、

吐き気がしたり、めまいがしたりしました。その強制収容所に入れられていた人々が

すざましい状況だったことが伺えました。何て形容したらいいかわからないです。



たぶん、もし私がそこに入ったら、迷わず死を選ぶのではないか?と思えるほど、

言葉では言いらわせない過酷でひどすぎる仕打ちです。

虫けら以下に人が扱われ、殺されるのです。



先日、強制収容所に入れられた心理学者フランクルの著書、

「夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録」を再び読み直しました。



ちょっと想像してみてほしいのですが、もしあなたが・・・

冷たい藁(わら)の上に、(しかもその藁は人間のおしっこで濡れているのです)

横たわれるとして、そこに幸せを感じることができるでしょうか?

おしっこ臭くて、冷たくて、寒いその場所にそこに横たわるのです。



想像もつきませんが、強制収容所にいた人々は、こんな状況でも

幸せを感じてほんの少しの時間、横たわるのです。



つまり、彼らは狭いところで全員が横になれる場所もなく、

ほんの短い時間交代で横たわれる、という幸せを噛みしめていたのです。

あの過酷な状況の中で、それでも幸せを拾って噛みしめる人はいたのです。



しかし、そこに入れられる人々のほとんどは、心が壊れ、人が殺されることにも

無関心になり心が痛むこともなくなり、人間としての健全さがなくなっています。

でも、無感覚にでもならないと生きていけないです。


美人になる方法-2


フランクルのその言葉を読んだときに、人は、どんなつらくてひどい状況に置かれても、

幸せを拾うことができるのだな、と改めて感じました。

見方が、人を幸せにも不幸にもするのです。



自分にないものや、手にしていないものにフォーカスする癖がある人がいます。

自分の状況が、他者から見れば、天国のように幸せな状況でも、

それでも、今の状況に不満ばかりを言い、得られている幸せを見ようとしません。



そういう人は、どんな状況になっても、どんな素敵な場所に住んでも、

どんな素晴らしい人と結婚しても、幸せにはなれないのです。

次から次へと別の不満要素を拾い上げ、そして、欲しいものが、

「ないないない・・・」と言うのです。



フランクルを支えていたのは、ほんの短い瞬間的な想像、

それは、以前、愛する妻と食卓を共にしていたあの幸せだった時を思い出すとき・・・

それは瞬間的に訪れる幸せの時なのですが、長く浸れるはずもなく、

また現実に戻されて、過酷な労働に戻るわけです。



私たちは、冷たい藁(わら)の上に寝る、という経験ができるわけでもありませんし、

日本に住んでいながら、食べ物に困る、という生活ができるわけではありません。

いつも、暖かい戻る家があり、そこには暖房器具があって、

すぐに食べることができる温かい食べ物があります。



過酷な状況にあったこともないので、想像の分野ではありますが、

しかし、私たちには、今はいろんなものがあるんですよね。



さてさて、あなたはどこにいつもフォーカスしているでしょうか?

得られている幸せですか?それとも自分にないものですか?



さらに言えばなんですが、他人の言動に関してもどこを見ていますか?

いつもはいい人だけど、たまに表面化するよくない点に注目しますか?

または、何かの情報を読んだときに、自分には納得できない何か嫌な部分を拾いますか?

それとも、「いいな、これやってみよう!」と思う前向きなところを拾いますか?



その人が注目しているものが何かで、だいたいその人が幸か不幸かわかるもの。

常に後ろ向きなところにフォーカスする癖は、私たちを疲れさせ、

幸せを感じにくくし、不幸体質・不幸思考を作り上げてしまう。



どんな状況でも、幸せを感じることができる思考は、

常に「ある」に注目している人。それは他人に対しても自分に対しても同じで、

「ある」や「いい」や「幸せ」や「よしとするところ」、

そんなところに注目したいものです。



今日も私たちは、温かい食事をし、温かいお風呂入って体を清潔にして、

温かいベットにもぐりこみ、安心のうちに眠るのです。

毎日が、おめでとう!な生活です。



最後に、南相馬の12歳の男の子の言葉を贈ります。



「三月の地震による津波が、一しゅんのうちにぼくから

たくさんの大切なものをうばいとってしまいました。

やさしいおじいさんとおばあさん、泳いであそんだきれいな海。

なくして初めて当たり前と思っていたことが、今までの幸せだったのだと感じました。

この気持ちをいつまでも忘れずに、震災に負けないでがんばっていきます。」


(だけど、くじけない NHK出版 長倉洋海と東北の子供たちから)





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