こんにちは。ワタナベです。

昨日、人気ランキングのほうを見てみましたら、

ランキングのポイントが過去最高の週間INで8000Pを

超えていました^^本当に皆様の温かい応援が

そうした結果に反映されていることを大変うれしく思いました。






読み逃げだって、全く構わないものの、

それでも、誰に気づかれず、

こうして毎日応援してくださっている

読者様の存在は毎日感じており、

本当に心より感謝しております。






これからも、皆様に愛されるブログを目指していきますので、

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

そして、ついでにお勉強会について再びお知らせしておきますが、

東京・5月30日(土)PM2:00~4:00

大阪・5月31日(日)PM2:00~4:00
です。

応募に関しては、扱うプログラムが決まり次第、

ブログにて募集いたしますので、もうしばらくお待ちくださいませ。






きっと参加者集中して激戦じゃ?

なんておっしゃっていますが、そんなことはないと思います。

一応私もアクセス解析などで、

どこの地域からきていらっしゃる方が何人で・・・

なんてことを把握した上での人数ですので、

激戦にはならないことでしょうー!

それよりもスカスカの可能性だってあります(^^;)ヤバ






さて、本日の記事に入りたいと思います。

今日は、ホント、独り言のようなもんですが、

適当に読み流してみてくださいませ。






数ヶ月前に、外出先でこんなことがありました。

散歩の帰りに、モールでの駐車場でのこと、

ワンニャンを、車に残して私たちは買物に、

行こうとしていました







いつもはワンコは車に置いていかれても、

泣かないのですが、誰かそばに人がいたりすると

わざと悲しそうな声をアピールして

「キャーン」って泣くことがあるんです。

(相当賢いです^^;)







そうしましたら、そばにいらっしゃったご年配の

ご婦人が私たちに聞こえるように、

「かわいそうに。車に犬を残して

自分たちは買物かっ・・・」


…っておっきな声で、独り言のように言うんですわ(^∀^;)







私の心境は・・・↓   ↓   ↓   ↓



20はぁ.jpg




・・・なんですけどね(^^;)






また、ちょっと別の場合を考えてみますと、

よくネットなどを渡り歩いていると、

こんなことを書いている人もいます。






「犬猫に、服を無理やり着せて

飼い主のエゴにつき合わさせられている

ペットがすごくかわいそう・・・」とかって

書いていらっしゃる方もおられます。






これに関しては、「はぁ~?」とは思わないのですが、

一理あるものの、すべてそうではないと思っています。

ま、自分に向けられた言葉ではないので、

どーでもいいのですが、ちょっとそこで

考えることがありました。






自分視点って、なぜか絶対に正しいとの確信

ありますよね。上記の例にあるように、

ワンニャンを車に残していくことも、

ペットに服を着せるのは、人間のエゴである、ということも。







それって、何で判断しているかというと、

たった、自分ひとりだけの経験に基づいた、

自分の思い込みだけの判断で

人を裁いている言動
だったりします。






例えば、うちのワンコは、家に取り残されることほど

嫌いなことはありません
。シャンプーと同じくらい、

「お留守番」が嫌いなのです。この「お留守番」と

聞いただけで、嫌がらせまでします。

(大抵の嫌がらせはウ○コで攻撃です^^;)






ニャンコも同様で、ワンコと一緒にお留守番は

嫌ではないのですが、一人っきりでのお留守番は

大嫌いです
捨て猫だからでしょう。

一人きりの寂しさが身についているので、

できれば、誰かといつも一緒にいたい、ということで、

車に乗っていたほうが、安らいでいます。







さらに別の点としては、

ネコって服、普通は嫌いですよね?

私もずーーーっとそう思っていました。

が、しかし、うちのネコは、別にどーーーでもいいのです。

着ていても着ていなくても、じぇんじぇん平気です。

言うなれば、鈍い?( ̄∀ ̄;)カナリ…






外に行くときは、冬はやはり寒いので、

ワンニャンに着せますが、二匹とも全く平気です。






これはただの例なのですが、

言いたかったのは、普段、私たちも

陥っているかもしれない罠がある、ということです。

つまり、自分の経験だけで、

人のことを悪く裁いているケースが。







例えばですが、ちょっとこんなことを想像してみてください。

バスの中で、2歳3歳の子供を連れたお母さんが、

椅子に座っていていました。

子供たちは、キャーキャー騒ぎながら、

走り回っていたとします。

周りもうるさそうです。






母親は、ボーッとしているのか、子供たちに

気づいていないのか、全く注意をしようとも

しません
・・・子供たちはやりたい放題・・・

バスの中も、いつ急ブレーキが踏まれ、

子供たちが危険なことになるかもわかりませんが、

母親は、外をぼんやり眺めているばかりです。






それを見て、もしかしたら、「ひどい母親だ!」

思うことがあるかもしれません。事情もわからず、

裁きたくなるかもしれません。







あるご年配の女性が、「お子さんが危ないですよ。

座らせていたほうがいいのでは
?」と親切に近づきました。

外を眺めていた母親は、それにやっと気づいて

ご年配の女性に振り向くと、母親の目は涙がこぼれそうで、

目も真っ赤でした。事情を聞いてみると、

ご主人様が事故に遭ってしまい亡くなり

確認のために警察に行くところであることを

説明してくれたようです。






最初、母親に対して裁く気持ちで一杯だったのが、

事情を聞くと、すべての物事の見方が

逆転したかのようになりませんか?







裏の事情を知ると、見方も変わる、

ということですが、私たちは、その裏の事情を

誰もが、すべてわかるはずもないんですよね。







ですから、自分の経験だけで、誰かを裁いたり、

善悪を決定付けたりはすごく危険だ、ということなんです。

極論、誰のことをどのように判断しようが、

それもまた自由ではあるのですが、

間違った判断をする危険性もある、

ということを認めておけば、

もっと柔軟な判断や見方が

できるのかもしれませんね。






自分の経験での判断がすべてではない

そして、人の考えも事情もホント千差万別で、

自分と同じ考えの人もいないので、

考えや行動を押し付けたり、または

いちいち裁くことも、危険かもしれませんね。






なんて、今日は独り言のような記事でしたが、

自戒も含めて、思い込みや先入観

そういう偏った見方を避けたいな、と思った次第でした。





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今日も最後までお付き合いくださいまして、

ありがとうございました。






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