今日はまた高度順応日で、ローツエ氷河が拡がるChhukhung(チュクン4743m)までを往復する。まだ残雪は厳しいが、空は雲一つない晴天。4500mくらいからは、ゆっくり歩いても息も絶え絶えになる。4700mを過ぎたあたりから再び頭痛。Chhukhungまで来ると、目の前にIsland Peak(Imjatseイムジャツエ6198m)で、左手にLhotzeの岩壁がそびえたっている。


一緒に上がってきたスペイン人2名のうち、30歳くらいの男性も頭痛がひどいらしく、食欲もなく、ずっと臥せっている。俺は軽い頭痛はするが、食欲もあり、ダルバードを食べる。ここまで来ると、病気になっても怖いので、食事には気を遣う。病気やケガの場合、Namcheくらいだと、ヘリで運んでくれるが、4500mから上だと、ヘリも来れないらしく、人の背中に担がれて、降りることになる。なんと怖いことか。一休みして、Dingpocheまで戻る。左目が痛くてコンタクトレンズを外そうとしたがもう既に無かった。ここ数日手を洗うこともできず、汚い手でレンズを入れていたが、もう限界だな。

 

ここ数日来の生活は、朝8時頃出発、14時までひたすら歩く。14時からストーブがあるダイニングでお茶、読書、いつものメンバーでの談笑の繰り返し。部屋は寒くていられない。洗濯しようにも水もないし、乾くよりも凍ってしまう。日中は比較的暖かいが、16時を過ぎて日が沈むと急激に寒くなって、部屋の中でもマイナス10度くらい。ストーブの周りから離れられない。ストーブと言っても、ヤクの糞を燃やしているだけで、火力がとても弱く、周囲10センチくらいが暖かいだけ。それでも部屋にいるよりもマシなので、結局ダイニングでボーっと過ごす。

 

スペイン人が、Jon Krakauerの“Into Thin Air(薄い大気の中へ)”というエベレスト登山の本を読んでいる。Jon Krakauerはジャーナリストで、”Into the Wild(荒野へ)”という小説はベストセラーになっているが、実は半年前に初めて読んだばかり。1992年、アメリカの裕福で優等生だった青年が、2年間の放浪の旅を経て、アラスカの森の中で死ぬ、という実話から書かれた物語だ。あまりに面白くて、調べてみると映画にもなっており、DVDを借りて見てみた。人生の苦悩、それに抗うように放浪を続け、最後のユートピア、アラスカにたどりつく。映画ではアラスカの四季も濃密に描かれている。旅の終わりに知った真実の幸福とはいったい何だっただろうと、自らの旅と重ねて、思いに耽る。

 

やはり軽い頭痛というより、頭重感が続いている。今日は曇天だけど、ものすごい寒さだ。お湯をコップに少し貰って、外で歯を磨いていたら、手に持ったコップの水があっという間に凍っていた。


蘭人2名、デンマーク人1名、スペイン人2名、NZ人1名、日本人1名の団体ツアーのような形でともに出発。エベレスト・クーンブ氷河を源流とするクーンブコーラを眼下に見下ろしながら歩く。川辺に、Periche(ペリチェ4252m)の村が見える。比較的大きな村で、この辺り唯一の診療所がある。近くに田畑も広がっている。2時間ほど歩いて、Tukla(トウクラ4622m)に着く。ここで、Namcheで会った日本人青年に会う。俺より1日遅れてNamcheに入ったのに、高度順応せずに、昨夜のうちにLobuche(ロブチェ4930m)まで行ったらしく、ガンガンと響くほどに強い頭痛で昨夜は全く眠れず、今朝下山することに決めたらしい。再挑戦する気はないらしく、“心が折れました”を苦笑いしていた。一緒にガイドもいて、大丈夫と言われ、登ってきたらしい。ガイドの力量も大事なんだと改めて思う。ガイドのナビンに感謝。

 

Tukla(4620m)からLobuche(ロブチェ4930m)までの急な登りが、高山病ポイントの3つ目だ。ゆっくりゆっくりと登るが、息も絶え絶え。しかしものすごい寒さだ。途中、エベレスト・プモリ登山で遭難死したシェルパの墓が沢山並んでいるところを通る。


100基くらいはあるだろうか。またエベレスト無酸素登頂を果たした記念のチョルテンもあり、お参りする。まあ全てはその辺りの岩を集めて作ってあるだけだが、荒涼とした岩場には目立っている。


Lobucheのロッジは、ただの掘っ立て小屋だ。テーブルにこぼしたお茶がすぐに凍り付く。ここの宿代が高いことと雪がひどいことから、NZ人がそのまま下山することになった。そう、また雪が降り始めている。当初は、午後にクーンブ氷河トレッキングのはずだったが、雪がひどく中止。ひたすらヤクストーブの周りでボーっとする。夜には雪が止み、雲が開け、星が見えてきた。明日はいよいよ最終アタックだ。